お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

        スパのお尻叩きとSMのスパンキングの違い


スパっていうのはご存知のとおりスパンキングの略語なんですよね、スパンキングというのはお尻叩き、お尻ペンペンの事をいいます。
だからスパのスパンキングはスパンキングのスパンキングとなってしまいちょっとおかしいのですが、この言葉こそがややこしくなる原因なんだと思います。

それでは本題に入ります。
まず純粋派のスパのお尻叩きは躾けによる体罰の事をいいます。
親や先生が行う教育的な指導のための体罰で、虐待的な体罰ではありません。
大人がお仕置きを受けるのには自分の悪い行いを誰かに説教を通じ叱ってほしいというのが前提にあります。
また、不安な自分、寂しい自分、優柔不断な自分を見つめていて欲しいと望む気持ちも含んでいるものです。

その前提の上で二度と同じ過ちをしないようにお仕置きを望むのです。
お仕置きの痛みは恐怖です、痛くて辛いことです。
だからこそ意味があり、同じことをしてしまったらまたお仕置きされてしまうという気持ちから自分を立て直していくのです。
他に、お尻叩きで罰せられることにより、罪悪感が解放され心がすっきりするということもあります。

でも深層心理では構ってほしい、甘えたい、見ていてほしいというところがあるので、無意識に悪さをしたりしてしまいます。
そうなるとお仕置きされたくて悪さをしているんじゃないのって思われてしまう結果になるんです。
そこの部分がSMに通じるところがありMと誤解されやすいんですね。
でも無意識に構ってほしくて悪さをするのは子供がそうであるようにSMを求めているわけではないのです。
大人になるとそういうことを意識できるようになるので「私は変じゃないか」「おかしいのではないか」「Mではないか」と悩むのです。
しかし、大人も子供も同じで、結局は構ってほしいという甘えの部分の欲求や過去叱られてこなかった人の叱られる憧れという部分があるだけで正常な心の動きなんです。
ただ少しだけ、叱られることへの欲求が強いだけで性格的な部分も関係してきます。


で、SMのスパンキングもスパ同様に躾けによる体罰も行います、そしてSMの世界は広く深いのでSMのスパンキングの中にはスパのお尻叩きの要素を全て含みます。
そして教育的な躾もありますが、Sの価値観を受け入れさせる躾もします。
それだけにとどまらず様々な性癖が錯綜してなんでもありなのがSMの世界です。
いくら性的要素や快楽のない純粋なスパのお仕置きをしようとしても一般の人はどうしてもそれを”SM”の括りにしたがるのです。

でもやはりお仕置きを受ける側の意識は全く違います。
Mは人形や物として自分をおきかえたり、存在意義を否定され絶望感を感じたり、支配されている喜びを感じたり、苛められ叩かれている悲惨な状況の自分に酔ってしまったりと、そういう感覚でスパンキングを受けます。
スパンキングを求めるほとんどのMは痛みを快楽と感じたり、痛みを我慢している自分自身に感じたりしています。
また、SMのスパンキングには羞恥的な性的なスパンキングも含まれます。
恥ずかしい行為を我慢させるのもお仕置きであり、性的で嫌な部分も全てお仕置もきだからと片付けてしまいます。

そうなると、スパのスパンキングはSMのスパンキングの一部なの?
となりがちで、そこでまた誤解が生まれる原因なのですが、やはり区分けは必要だと感じます。
なぜかというと、それだったら家庭や学校での体罰はSMプレイの一部ですか?ってなるからです。
そういうことになってくると本当に体罰がなくなるのかもしれませんが、でも気持ち的に全く別物ですよね。
スパの中でもラブスパとか前戯的なスパとかがあって快楽を求めてスパをする人がいて、そういうものがあるからまたまたぐちゃぐちゃになってしまうんですよね。
だから性的な要素のあるラブスパはSMとして認識していくほうが理にかなっているかと思います。

ということで勝手に結論を出してしまいます。
スパのお尻叩きは性的要素を含まない、お説教がありお尻叩きがあり、アフターフォローのある成長の為のお尻叩きがスパのお尻叩きです。
なお、お尻を出して叩いたり立たせたりというのは日常にあるものなので性的要素としません。
つまり親と子供間での日常にある光景のお尻叩きをスパのお尻叩きとします。
そしてそれ以外の性的要素やいじめ、虐待的なスパンキングをSMのスパンキングとします。

まぁ、ぶっちゃけていえば、スパ趣味の人でもSMプレイをしたっていいんですよね、キーとカーはほんとにこのスパの世界とSMの世界を分けたがりますが、その中でもきちんとしたお仕置きの後にSMプレイをしている人も必ずいるわけで、くだらないこだわりを捨てて”これはスパではなくSMだ”と、認識をしていくことが大事なことなんだと思います。
要は意識の問題で、叩く側も叩かれる側もその意識の持っていきかた一つでスパ的でありSM的となってしまうということです。

そもそもキーとMは別物であってどちらか選ばなければならないという事はありません、キーであってMな人もいますしキーであってMじゃない人もたくさんいて、それはどちらでも自然な事です。
そもそもSMは人の性の部分なので孤立しているんです、スパは性ではなく日常生活での甘え方、意識の持っていきかたなのでそれはダブってもいいものなんですよね。
そしてお仕置きを望むからキーというわけではなく、ただの普通の人間なだけです。
わかりやすいようにキーなどとスパ用語を使っていますが、自分を見つめなおしたい、前向きに生きたい、心を安定させたいと思う人がお説教を受けに来る。
ただそれだけなんです、そしてその延長線上にお尻を叩かれることもあるんです。
こういう考え方が健全なのではないかなって思います。

女性であれば出会いは簡単です、でもこれらの認識のずれは必ずあるものです、特に弱い立場の女性側には重要な要素となりますのできっちりとした区分けこそ一番重要なのだと思います。
特に初心者のキーさんにはこの記事を通して自分自身の再認識、スパとSMの微妙な線、そこらへんの敏感な部分を感じ取ってくれれば幸いと思います。

とにかく純粋なスパを好む人が誰しも思っていると思うのですが、スパ=性風俗というイメージが定着してしまっていること、本当にそれは切なく思います。
なんて人間は勝手で、他人のことを深く理解してあげようとしないのか虚しくなります。
こんな世の中だからこそ苦しくなるんですよね。

スパは性癖だと考えてしまいがちですが私は性癖という表現はしたくありませんし性癖ではないと思っています、ただ人より真面目で、叱られることに憧れを持っていたり、叱られることで自分を維持できたり、前向きに生きれたり、心が安定したり、そういう欲求が少しだけ強いだけなのだと思います。
つまりこれは人間ならば誰でも持っている承認欲求であると私は確信しています。
スパに関してエッチな目で見てもらいたくないというのが純粋なキーの訴えでありますが、当然ですよね。

不器用で、ストレスも溜め込み、自分をどう方向付けていいか分からず、正しい道を教えてもらいたくて、間違っている自分を正したくて、、、
日々葛藤している人、苦しんでいる人がいることは事実です。
そんな子達をおとしめるような勝手なイメージは余計その子達を苦しめているんですよね。

純粋なカーという存在を探すためにどれだけ傷ついていることか。
心の闇を抱えている人は本当に切ないですね。
私はそんな不器用な生き方しか出来ない人たち、闇を抱えている人に魅力を感じるんです。






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