お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

                パートナー=恋人=×?


お仕置きのパートナーって、どういう関係ですか?

女性のの多くは「お仕置きのパートナー=恋人」という形を望みます。
いくら性的なことがなくても、やっぱり密室に入り、お尻を叩かれる、体に触れ、甘える行為をするわけですから女性的に考えれば一番は恋人がいいと考えるのは必然ですよね。
でも実際は恋人にカミングアウトが出来ずに彼氏とは別にパートナーが要るという人もいて、結果罪悪感で悩んでいる人もいます。
彼氏にカミングアウトをしてそれを受け入れてもらいパートナーとなるケースは少なからずありますが、やっぱり長続きしないことが多いみたいですし、現実問題そんな勇気は出ないでしょう。
逆にパートナーと付き合って、それが恋人となるケースが多いようです。

お仕置きに憧れている人は理想は恋人だといいますが、本当に理想なのかなって私は思ってしまいます。
それは世間体を気にしてのことで、他の男性と触れあうと自分がいけないことをしているという気持ちの表れから来ているのではないかと感じます。

でも私が思うに、恋人となって恋愛をしてしまったら果たして冷静に叱ることはできるのか、きちんと素直に叱られることができるのかという部分で疑問が生じてしまいます。
恋愛の愛情は恋愛の範囲での愛情であって、お仕置きの愛情はそれをはるかに越えたもっと広い愛情であると思うからです。
親が子供に対する愛情と同じで、子供が悪いことをしても、浮気をしても、犯罪を犯しても、そして裏切ったとしても、それは広い愛情の中の出来事であり、許せない行為なんていう次元の話ではありません。
むしろ、全て包み込んでしまう、とっても広く大きな愛情なんです。
そう、無償の愛そのものなんですね。

しかし恋人同士であれば浮気をすれば裏切りだし、それを根に持ち信頼が出来なくなり、破綻するということが多くありますよね。
またお説教をしても「それって価値観の押し付け?」「自分の都合のいいことばかり」「そこはいわれたくない」と対等すぎる関係だからこそ不平不満が出てくることもあります。
でもパートナーが恋人でなければ、同じようなことを思ったとしても冷静に受け止められるという部分があると思います。
パートナーが恋人の場合、恋人に嫌われるようなことは隠したいし嘘をついたりするのが普通ですよね。
でもそんなことをしていたらいつかは他の人に嘘をついている自分をお仕置きして欲しいとなってしまうでしょう。
ま、実際そういう子は多いんですけどね。

また違った見方では、パートナーから恋人へと進展した場合ですが、
お仕置きする側は、特にパートナーの前では非日常であることが多いと思います。
お仕置きする側であるからという思いで自分を厳しく律し、冷静に大人な対応で接しているという面はあると思います。
それって本当の姿ではなく、お仕置きという関係だからそういう面しか出していないと言う事が多いと思います。

実際の親子関係もそうですよね子供の前では親でなければならず本当の自分を隠して躾をする人が殆どです。
周りにいる適当な人たちでもどんな人でも子供の前では親であり躾をしているんです。
でもお仕置き関係の場合は相手は他人である人間です。
お仕置きをされる側は相手の姿が本当の姿として認識するので尊敬を通じ愛を感じ、好きになってしまうことがあります。
でも恋人関係になってしまいお互いを主張し始めるとその隠された本性というのがチラホラ出てきてしまいます。

お仕置きをする側から相手を見ると、相手は真面目で不器用な人が多いのと、自分から演出することはしないので、人間性を理解でき、それは恋人になってからも変わりないものとなるでしょう。
でも実際にお互いを理解できるのは恋人となってお仕置きする側の自我がでて、それからなんだと思います。

そうなってくるとそもそもの尊敬という部分が薄れ、恋人としてもスパパートナーとしても違和感がでて、その一つの不安要素が更なる不安を煽り、上手くいかなくなることにつながっていくんだと思います。
そもそも恋人に求めるものとお仕置きに求めるものって同じだったらそれは理想で、同じだと思ってお付き合いするのですが、それは難しく本当の心の中では求めているものが微妙に違っているのだと思います。

複雑なケースでは恋人を望み、キーを望み、Mも望み、主従も望む。
このような人も実際にいるんですね。
実際私の知っているカップルは恋人兼お仕置きパートナーなのですが、主従にも興味があるという女性です。
主従への興味は若い頃のトラウマから来ているような感じなのですが、まだしっかりとした主従の経験はなく妄想の世界での憧れであり、実際体験したらどうなるかは分からないといった感じです。

私は、恋人に求めるものとお仕置きに求めるものって心のそこでは違うと思うんですね。
お仕置きする側というのは相手に対して、駄目なものはどんな些細なことでも駄目って叱ることが必要で、そのことによって相手は愛情を感じます。
しかし彼氏に対しては
「駄目なことも含めて受け入れてほしい」
「少しは甘えさせてほしい」
みたいな感覚が少なからず発生してしまいます。
あれも駄目、これも駄目では、恋人として安らぎを求めている彼氏にも絶えず緊張していなくてはならないからです。
先ほどあげた主従も含めるともっと複雑です、

”お仕置きのパートナー”には駄目なものは駄目って叱ってほしい、甘えたことをいっても構ってほしいと願っています。
全てを大きな愛情を持って接しているので喧嘩になることもなくそのようなこともさらりと交わしてしまう。
嫌な自分もはっきりと駄目だよって教えてくれる厳しさに愛情を感じてしまいます。

”彼氏”にはもっと心のそこから愛情を感じたいから安らぎの場所であってほしい、喧嘩も必要だけど細かいことを言われたくないときもあって、ちょっとした悪さも見逃してくれる優しさを求めてしまう。

”主従”では自分をただの道具として扱ってほしい、感情なんか捨ててもっと楽になりたい。
または支配されることで愛情を感じ、相手が喜んでくれる姿を見て自分も満たされたい。

このように簡単に書きましたが、結局お仕置きパートナーでも彼氏でもご主人様でも、その一つ一つに求めているものってやっぱり違うんですよね。
そうなってくるとどんなに要求したとしてもそのパートナーの行動が物足りなくなってきます。

優しくされたらなんで叱ってくれないの?って思う。
叱ったら気持ちを分かってくれていないなって思う。
自由にさせたらもっと支配してほしいと思う。
支配をするともっと自由にさせてと思う。

これら全てを均等に求めてしまうと全ての事柄に違和感が生じなにか物足りなく感じてしまいます。


結局は何をより多く求めているかなんではないかと思います。
その方向性を見極めて考えれば物足りない部分も自分の中で処理が出来るはずです。
全ての欲求を満たすことは一人のパートナーではまず不可能です。
だから私はスパ(お仕置き)とSMと恋愛は全くの別物と考えています。
そのほうがコントロールが出来るし違和感がないからなんですね。
でも女性ってそこは割り切れない人が殆どでそこが苦しむ原因でもあるんですけどね。

全ての欲求が満たされることはありませんが、より多く欲求を満たす方法。
それは、恋愛重視で、恋愛を求めてお付き合いすれば、ある程度の満足感が得られるのではないかと思います、何か物足りなくてもスパやSMは”恋愛の一部”であることを認識していれば。

ま、難点もあってそれはスパの時、SMの時、主従の時はそれは”プレイ”であり、多少なりともお遊び的な要素となってしまうんですね、イメージプレイですよね。
スイッチを切り替えてそのようなことをするのですが、やはり人間ですから感情というものがあり100%切り替えるというのは難しいです。
でもそうやって切り替えてパートナーと続いている人はいますし、切り替えたら切り替えたで心から切り替えられる人もいるのかもしれません。
それは人それぞれの楽しみ方でパートナーと話し合い、自分と向き合いながら決めていけばいいことです。
そういう経験をしてみないことには何も見えてきませんからね。

何か物足りないと感じてしまう人はより多くのことを求めすぎなんです。
何が自分にとって一番大切なことなのか、何を失うのが一番つらいことなのか、何が一番幸せに感じるのか。
8割くらいの満足で満足感を得られるように、それで納得できるように心の整理をすることが必要です。
心を満たすことは心の健康上必要なことですが、その中で折り合いを付けていかないと大事なものを失ってしまう原因となってしまうかもしれません。

パートナーが恋人というのは理想ですが、それだけ維持するのは難しいんです。
お仕置きをする側がそのポイントを握っていると私は思います。







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