お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

                キーとマゾヒストの違い


一般的にキー=マゾヒストと認識しがちですが、これがまた違うんです。
どこが違うかというと、これは捉え方によっても違うのですが説明したいと思います。

まずマゾヒストは屈辱感、被虐感、羞恥感、痛み等により性的興奮を得る性質があるのです。
支配され、奴隷や人形のように扱われたり、からかわれたり苛められたり、言葉責めされたり、そういったことを快楽と認識し心地良さや喜びを感じてしまう人もいます。
この全てに当てはまるのではなく、どれか一つでも当てはまっていれば立派なMだと思います。
羞恥心を煽られ言葉で虐められることで性的興奮を得る、例えそれ以外のことには興味がなくても立派なマゾなんですね。
マゾといってもいろいろな嗜好があり、とくに支配感を求めるマゾはどんな命令でも従うので何でもありがちな目で見られますが、それは一つの例で、Mが全てそうかというとそんなことはありません。
ようは虐げられることによって性的興奮を感じるかどうかなのだと思います。

主従関係を例にとると、支配されることは受け入れることであり、パートナーのどのような理不尽な命令も従わなければならないという被虐感により興奮し、それが達成できたことに更に喜びを感じます。
達成できない場合は躾と称してお仕置きがあり、そのお仕置きでも自分をおとしめて自己陶酔してしまいます。
屈辱を味わうにはやはり性的苦痛が一番なのでどんどんと究極を求めるようになってしまうのでしょう。
そのような屈辱を味わい、拘束され鞭に打たれ言葉で罵られることにより絶望を感じ心の全てを解放するということを望むことがあります。
それをどう操るかがサディストであり、調教であり、絶望の後の安らぎの与え方で信頼関係はより深まります。
ちょっと難しいですかね、かなり一方向に話が進んでしまいました(汗)
これもマゾの嗜好の一つということは理解してください。
いろいろなマゾがいるなかで、ここまでのマゾは数少ないでしょうけどね(汗)
精神的な奥底の部分なのでとても複雑でそれを伝えるのは難しいです。

一方キーは性的興奮の為のお仕置きは一切望んではないんですね。
甘えたい、構って欲しい、見ていて欲しい、褒めてもらいたい、導いて欲しいということが根底にありますが、
駄目なことは駄目としっかりと叱って欲しい、お説教されてお尻を叩かれていることで愛情を得ているんですよね。
自分自身の躾をして欲しいと願うのはそれは愛情がないと出来ない行為だから、それによって大事にされている、愛されていると実感したいというのが深層心理の中にあると思います。
結局お尻叩きの行為は痛いし嫌なのですが愛情を求めて満たされるにはその行為も必要となってくるのでお仕置きを求めてしまうのでしょう。

今の若い子はアニメやドラマ、小説などでお仕置きを目撃する事が多いと思いますが、全てに共通していることは親から子供、教師から生徒への深い愛情から来るお仕置きなわけなのでそれを見てその主人公は愛されているのだと感じてしまい、それが自分に向けられていく事が多いと感じます。
またアニメ以外でも小中学生のときに悪い子達は先生に構ってもらえ叱ってもらえ真剣に向き合ってもらえます。
それに対して羨ましいという憧れを持ちつつ成長して行き、幼少期に得ることのできなかった叱られることへの欲求が膨らみ叱られることを望む結果になるわけです。
だから性欲ではなく真剣に向き合ってもらいたいという甘えの部分であり、これは人間なら誰しも持つ承認欲求でもあるんです。

ただお仕置き時にお尻叩きされることにより性的興奮をするならばこれはマゾの部類になると思います。
性的快楽の為にお尻叩きを望み、その手段として悪いことをして説教されお仕置きをされるのであればそれはマゾです。
流れはスパのキーかもしれませんが求めている先が性欲の部分なので立派なマゾです。

性的快楽のために悪いことをするという設定からのスパンキングは、動機が既にSMであり、マゾヒストの考えであるからです。
Mとキーを区分けしているのはそこの部分が違うからだと思います。
ただ、そこらへんを曖昧になって履き違えているキーさんも結構多いので誤解されてしまうのでしょう。

私が感じるスパのキーさんは性的興奮を目的としていないんですね。
自分自身の戒めの為、自分自身を罰する為であり、優柔不断な自分を正しい道に導いてほしい、悪いことをしたらきちんと叱ってくれる人がほしい、それが目的であり、その罰が体罰でありお尻ペンなんですね。
口で言っても結局は繰り返してしまうので厳しくお尻叩きで罰し二度としないように躾けてほしい。
それが前提にあるのだと思います、そこに至るまでには幼少期の体験がかなり多く影響しています。
そこらへんのキーの資質については次回に書いていきたいと思います。
自分に自信がなかったり、存在を認めてほしかったり、構ってほしかったりと結局は甘えたいということが深層心理にあるんです。

よく相談があるのですが「私はキーなのかMなのか」と悩んでしまう原因があります。
説教してお尻叩きをしていると性的興奮をしているわけでもないのに”アソコ”が濡れてしまう子がいるんです。
キーにとってはそれは屈辱で見てもらいたくない部分なんですね。
カーはそういう場面に遭遇しても口に出さずに”見ない”優しさが必要です。

でもこの体の反応は性的興奮によってのものではなく、安らぎのホルモンの影響によるものです、これは性的興奮と同じ神経伝達物質であるためこのようなことが起きるのですが、刺激によって起こるものではなく、脳内の安定による安らぎから起こるものです。
「罪悪感を解放できた、不安定だった気持ちが安定していく、叱られたことで間違いに気づくことが出来た、そして愛されている」
これも快感なんですよね、性的快感とは違う、精神が安定するような快感。
それにプラスしてお尻を丸出しにされた羞恥心が錯覚となって体の反応に出てしまうこともあるんです。
そしてこの脳内の反応は無意識下なので、止めることが出来ません、よって"濡れる"という形になってしまうんですね。

「キーなのにどうして体が反応してしまうの?」と落ち込んでいる女性はもう悩む必要はありませんよ。
カーはそこで性的興奮として捉え、それを煽るような発言をしてはいけません。
カーとしては禁句なんですね、一気にお説教やお仕置きの陶酔感が冷めてしまいます。
それとお仕置きに慣れていなかったりまだ知り合って日が浅かったりするとかなりの羞恥心が出ます。
男性の前で服を脱ぐ行為は俗にエッチをするときくらいですから体が誤反応してしまうこともあります。
同じドキドキ感で似ているため脳のほうで勘違いしてしまうことがありますから、濡れてしまっても何の問題もないです。
まぁ確かに恥ずかしいのかもしれませんが、それも全て受け入れてくれる相手、こういうことを理解してくれる相手だとすべて身を任せられるのではないかと思います。
決して感じているわけでもなく、マゾというわけではないので安心してください^^

で、マゾとキーの徹底的な違いは性的快楽を求めているか求めていないかの部分だと結論付けたいと思います。
それに加え、叱られるのを求めているのか(こじつけではなく自然な理由で)いじめられるのを求めているのかの意識の違いでしょう。
その深層心理の部分では微妙なところもあると思いますが、考えかたとしては明らかに違いますよね。
なので、恋人同士の俗にラブスパと呼ばれている行為を好むのは”キー”ではなく”マゾ”であり、SM行為だと私は思っています。
恋人同士のエッチありきのスパはSMです。
ただ、お仕置きの後にエッチをしたらSMかというとそうではありません。
お仕置きをして反省をしてそれが全て終わって、仲直り的なエッチであればそれはSM行為ではないと思います。
特に女性はそこらへんを気にしますので男性カーさんは気をつけましょう、切り替えという事が一番大切です。

しかし根底にある精神的なものはキーもマゾも同じで、それは自己表現であり愛情を求める行為であると思っています、自分の居場所の一つであり、安らぎの場所であることには違いがありません。


最後になりましたが、
5回にわたり初心者向けに大雑把な方向性を書いてきましたが、自分の嗜好を再度見つめなおし、自分の性癖や求めているものを再認識してみてください。
これらの違いは明らかな違いですが、実際は些細な意識の違いなんです、だから自分の立ち居地がいまいちよく分からないんですよね。
結局5回とも同じようなことの繰り返しを説明してしまいましたが(汗)

このように極端に結論付けたのも、自分の求めているものを分かりやすく判断してもらう為だったんですね。
安らぎを求めて入り込んだ世界で傷つき不安定になる女性が多くいます、ほとんどがそうなのかもしれません。
まずは自分を守ることを覚えてください、そして安らぎの世界で傷つくことのないようにしっかりと自己防衛する術を身につけてください。
大変に難しいことですが、私が書いた記事からヒントを見つけ役立ててくれればと思います。



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