お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              キーとカーの不思議な関係


キーとカーってあまり聞きなれない言葉ですが、スパの世界では基本的な用語なんです。
私はこの作り上げられた世界にはあまり入り込みたくないのですが、このブログを主張していくためにはスパという世界を経由しないと難しいのでそこは利用させてもらっています^^;

キーとかカーというのは
まあ、スパ用語というのですが、
キーとは叩かれる側
カーとは叩く側のことをいいます。

それってS(サディスト)とM(マゾヒスト)のことでしょ?
って思う人が殆どなのですが違うんですね。
自らのことをキー、カーと呼んでいる人たちはSとMとは違うと思っているから、わざわざそう名乗って区分けしている部分があります。

スパの住人は基本的にお尻叩き以外のことには興味がなく、そのお仕置きにもそれぞれこだわりがあります。
基本的にはお仕置きにはきちんとした理由があり、それについてお説教をし、罰としてお尻を叩き、反省を促す、反省できたら最後にはフォローをしてあげる。
いけないことをした自分をしっかりと叱りつけて正しい道に導いてほしいという「キー」という存在が主役です。(と私は思います)

まぁスパと一言でいってもいろいろなものがあり、私が説明したスパはディシプリン派のスパであり、性的要素の一切ない躾としてのお仕置きで、しかもSM要素もないという一般的にはなかなか理解できないようなものですが、これは真面目な取り組みなんです。

過去に私はスパの世界をちょっと理解できませんでした、それはSМのように支配関係で物事を考えていたからです。
スパを理解するには支配関係の部分を解いていかないととても難しいんです。
そして現在のスパの住人達も自分のことを理解できず悩んでいる人も多いようで
理解できていないがためにキーとカーのパートナー関係は長続きしないことが多いんです。

私は過去にSという立場(支配欲)でキーさんとお付き合いをしたことがあるのですが、違和感があったんですね、それが何だったのかというと支配関係なんです。
SM的な関係は支配したい者(S)と支配されたい者(M)なんですね。
よって支配したい側の”S"が主役なんです。
俗に要求するだけのMは「エゴM」とか「我侭M」とか言われていますが、私はその人達は”M”とは違うんじゃないかなって思っています。
支配されたいはずの”M"が主に要求し、自分のされたいことをしてもらう。
本質的には違う気がします。
よく考えてみるとSとMの支配関係で逆転してしまっていますよね。
なので「エゴM」や「我侭M」は”M”ではなく”S”だと思うことがあります。
要はそういう人は”S”の人を探すのではなく”M”の人を探せばいいんと思うんですけどね。
そうすれば自分の好きな行為を奉仕という形でMがしてくるわけですから。
まあ、人間ですから願望というものがあり、多少の要求はいいのですが、それが度を越えてはどうかと思います。
しかし頭のいいMの場合は駄目Sをコントロールし、操り、支配までしてしまいます。
そのことをSは気が付かずに支配者ぶっている光景を見たり聞いたりすると滑稽に感じます。

話がだいぶそれましたが元に戻しますね(汗)
私も過去、精神的な支配関係を探求していたものでこういう話になると語ってしまうんです(汗)

で、私が感じてた違和感ってこの支配関係だったんですね。
なので、キーがお仕置きの世界では主役だと私が思っているのは、キーがされたいことをカーがしてあげているわけで、それってキーがカーのことを支配しているんじゃないのかな?って思ったからです。

キーには理想のお仕置きというものがそれぞれあって、やっぱりそれはしてほしいという願望があります。
「膝の上にのっけられてお仕置きしてほしいな」「道具はこれがいいな」「理由はこういうのがいいな」「これは絶対に嫌」
という要望をカーに言い、カーはそれに沿って考えてあげながらお仕置きをする。
まあここまではかなり大袈裟に表現していますが、希望のお仕置きをカーに任せるキーさんもたくさんいます。
要はお説教やお仕置きして欲しいからスパの世界にいるわけで、カーはその希望をかなえてあげているに過ぎないんですよね。
そうなってくるとSM的な支配関係で言うとキー=S、カー=Mになってしまいます。
まあ、わざわざSM的に考えることではなく、SM的に考えること自体に違和感があるんですけどね(笑)
不思議ですよね、キーとカーの関係は。

そうなんです、SM的に考えたりするから不思議なだけなんですよね。
シンプルに考えればいいだけなんです。

つまり分かりやすく言うと、悪いことをしたときは、親は愛情を持ってお仕置きしますよね、時にはお尻を丸出しにしてペチンペチンと。
昔は結構よくそういうお仕置きはありました。
でも最近の親はしなくなってきていますし、学校での体罰もできない世の中になってきています。
まぁそれでもお仕置きをする親や先生はいるんですけどね。

お仕置きがあるとしても親や先生は叩きたくて叩いているわけではありません、二度と悪いことさせない、しっかりとした人間に成長させたいがためにお仕置きをしているんです。
そして当たり前のことですが、お仕置きをすることは個人の欲求でも何でもありません。
欲求であれば叩きたいから叩いているということになりますからね。
ま、それをそのままカーに当てはめることは無理ですが(叩きたいのがカーであるため)

でも、私の場合は叩きたくて叩いているわけでもなくこの親子関係に似たものがあってお仕置きをしているようなものなんです。
悪いことをしたときにお尻を叩かなければその子は良くならないと思うから叩いているんです。

キー側から考えると大半はいい子で生きてきた子や叱られた経験がない子が多いんですね。
そこで、しっかりと叱ってほしいと考えるようになりお仕置きを求めてしまうということが多いんですね。
悪い子でも叱られない子や奔放に育てられた子は同じように感じます。
それは叱られている人たちを見て、悪いことをしているのにも関わらず、なんで大人が振り向くのか、なんで良い子である自分より愛情を与えれているのかと思ってしまうものなんです。

大人が真剣に向き合って説教したり叩いたりするという光景をみると、実感が湧かないためにそのように写ってしまうんです。
そこから真面目な子や叱られることが少ない子はお仕置きに憧れを持ち、お仕置きにより甘えたくなるんです。
幼少期に実際にお仕置きされている人はお説教の嫌さとお仕置きの痛さで二度とされたくないと思うんですけどね(例外もいますが)

キーさんはこういう幼少期の影響が大きいものの、大人になった自分が悪いことをしても叱ってくれる人がいませんよね。
だからそれを叱ってほしいという単純なことで、それを親や先生に求めることは不可能だからパートナーを探すんです。
寂しがり屋がおおく、ずっと自分を見つめていて欲しい、構って欲しい、甘えたいという意識が強いんですよね。

ただ、こういうことを理解していないカーが多すぎてこれではお付き合いがうまくいきません。
精神的な部分では、キーはお仕置きをおねだりしているわけですからカーはそれを受け入れてお仕置きをしてあげる”立場”であって決してキーを支配しているのではないということを。
ただ、本当のお仕置きというものはお仕置きする人は絶対の支配者で、お仕置きをされる人は嫌でもそれを受け入れなければならない、よってお仕置きの要求など有り得ないんです。
だからキーは形的にはお仕置きの最中のみは支配されていなければならないんです。
これは本質的なことで意識の問題でもあります。
だからお仕置きを求めつつも”お仕置きを求めていない”という意識がないと多少の矛盾が生じてくるんです。
とっても難しいですけどそれを演出するのはカー側の問題だと私は思っています。

また、スパのパートナーを親や先生、兄弟におきかえてお付き合いをする傾向がありますが、それは関係性としては理にかなっているとは思います、まぁ個人的には意見はありますがここでは省きます。

ただ、恋人関係はどうなんでしょう、恋人にそれを求めるって一番の理想ですが、一番難しいような気がします。
それは恋愛は余計な感情を挟むからです、嫉妬もあるし、親兄弟、先生のように客観的に相手を冷静に見れるのかというのがとても難しいことだと思います、そして傷つく代償も大きすぎる。
一番理想な分、それなりのリスクが伴うと思います。
とにかくこの支配関係が複雑なキーとカーの関係はとっても難しいのだと思います。
私のしている事とはちょっと違う世界ですけど、とってもとっても不思議な関係ですよね^^;



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