お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

               キーの資質やきっかけ


お仕置きに憧れを持ってしまう皆さんはそれぞれお仕置きに興味を持ったきっかけというものを何かしら持っているようです。
なんとなくという人でも、そういう光景を見ていたことで何かを感じたといいます。

昔テレビでみたお仕置きシーンが心のどこかに残っていたり、親や先生にお仕置きされた経験、目撃した経験が心の奥底に残っていたりという感じですね。

そしてその記憶に残っているお尻叩きには愛情というものを感じ、それを求めてお仕置き行為に憧れを持つようになっているようです。
特に今まで叱られた経験のない子にはその愛情表現は未知の世界でもあり、叱られることで愛情を感じられると思ってしまうのでしょう。

叱られた経験がない子。
その中のほとんどは基本的に真面目な良い子ちゃんです。
悪いことをして大人の目を引きたいと思っても、勇気がなくて思い切った悪さが出来ません。
例え勇気を振り絞って悪さをしたとしても、それはたいした悪さではなく、周りの大人達は普段の真面目な姿を見ている為、それくらいいいだろうと叱ることを見過ごしてしまうのです。
そして反抗期という思春期にも、ろくな反抗をせずに真面目に我慢して過してしまいます。
通常は親や先生に反抗をし、悪さをし、叱られ、それを繰り返します、それによって心が安定していくものです。
家庭環境にもよるところもありますが、髪を染めてみたり、おしゃれをしてみたり、親や先生に少なからず反抗しているという心の抵抗は精神健康上、必要なことです。

真面目な人たちはそういう悪さをしている人達にある意味自由という羨ましさを多少なりとも感じているものです。
そして悪さをしても大人が真剣に構ってあげている姿を見て、愛情を映し出し、羨ましく思うんです。
そういう幼少期の記憶が大人になってもなかなか消えず、何か悪さやだらしないことをしたり、完璧にできなかったりしたときには叱られたい、お仕置きされたいと思ってしまうのでしょう。
ほとんどの人が幼稚園から中学生くらいまでにはそのような自分を自覚してるようです。

また、そういう子達の多くは、真面目な為、親や先生のいうことにきちんと従ってしまいます。
それはいいことのように思えますが、実は子供のころは必ずしもいいとはいえないんです。
反抗をして自ら行動するというのは、自主性を磨いていることになるからです。
そういう悪いことが出来る子達は、叱られることはよく分かっていてその上で自分で判断を下して、自ら行動をするんですね。
社会人になって生きていく面で、判断力行動力は重要なことです。
それを幼少期から叱られながらいろいろ模索していくうちにリーダーシップを取れるようになったり、結果出世をしたり経営が出来るような人物になっていくんですね。

逆に親の言いなりに育ってしまうと、自主性がなく親の指示がないと決断できない人間へと育ってしまいがちなんです。
そういう人は自分の判断を必要としない雇用人として真面目に仕事をこなすという道を選ぶことが多いんですね。
結局親のいいなりに育つということは、自分で物事を決めて自分で行動をするという行為が正しいのか間違っているのかが判断できないことにつながるんです。
そういう能力にかけてしまう危険性が非常に高いんです、だからこそ判断を仰ぐようなお仕置きに憧れてしまうんです。

幼少期に無意識に反抗し、良い事と悪い事の区別を把握するというもことは必要なことなんです。
それができないと自分で決めたことに不安を持つようになり、優柔不断になり、何が正しいのか、これでいいのか、そういうことを他人に相談しないと決断できなくなってしまう傾向にあるんですね。
仕事の面では向き不向きとして片付けられますが、これが日常生活になるといろいろと弊害が出ます。
自分で判断しなきゃいけないことはたくさんあり、子供が出来たら余計に負担を強いられることになるんですから。

また過保護に育てられた人でも同様です。
これはいい子で真面目とはちょっと違いますが、何でも許されて受け入れられてしまうことで社会に出たときのギャップに絶えられずに苦しむケースが多いんです。
親は愛情があるから過保護にしているわけですが、子供にとってはその価値観が違うんですね。
叱られない子供は叱られることに深い愛情を感じ、悪いことをしたらしっかりと叱ってほしいと願うものです。
ところが過保護の親はそれを理解できず、子供の悪さという信号を勘違いし、叱ることを拒否し、本当の愛情を与えることをしません。
何をしても許されてしまう虚しさ、そういう幼少期を過すと叱られたい欲求が大きくなります。
周りの叱られている人に対して大きな愛情に包まれていると憧れを持ち、私も愛情を持って叱られてみたいと願うようになるのでしょう。

他にもドラマやアニメなどを通じて憧れを抱いたりして、根底にあるものは愛情を感じたいということなんだと思います。
自分の存在を認めてくれ、きちんと見てくれて、きちんと叱ってくれ、正しい道に案内してほしい。
悪いことしたらお仕置きをして悪いところを直してほしい、それをお尻叩きのお仕置きという形で表現し子供のように叱ってほしいというのが真理ではないでしょうか。
それによって構ってほしい、存在を認めてほしい、甘やかしてほしいと願い、愛情で満たされたいのだと思います。

お仕置きを望む人の殆どは、お仕置きのときは子供返りをしています、そうすることによって日常のストレスから解放され、更に悪さや反省に対しての罪悪感から解放されるのだと思います。
お仕置きの後はすっきりとし、明日から頑張る何かが芽生えるようです。

子供にとっての悪戯は大人たちに相手にしてほしいという信号なんですよね、大人になったらそんな信号は出せません、だからこそ自分の中で反省部分があったらそれに対して叱ってほしい、そう願うのでしょう。

原点を見つめなおす。
人間にとって、これはいつまでも必要なのだと思います。
お仕置きやお説教に対して敏感な子たちは無意識にそれを理解している。
とっても偉い子達だと思いますよ^^






              戻る          Top