お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

            カーとキー、SとMの関係性


スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、三回目は「カーとキーの関係性とサドとマゾの関係性」です。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。

まずはスパのキーとカーについてです。
補足ですが、性的要素の一切ない、純粋な根っからのキーとカーについてですからね。

何回かお話していますが、純粋なキーはたくさんいるのですが、純粋なカーは殆どいないのではないかというのが私がいつも感じている事です。

SとMは支配関係で成立しますが、キーとカーはかなり複雑です。
たしかにお仕置きのときはカーが支配をしているのですけどね。

まず性的要素のない純粋なスパというものの根本はディシプリンであり、簡単にいうと子供に対しての教育的な体罰、いわゆるお尻叩きをすることを指すんですね、悪いことをしたら罰を与える的な。
これは相手の価値観ではなく一般的の道徳的な価値観での教育が基本です。

そしてここで違和感を感じるのは子供はお仕置きを望んでいないということです。
しかし大人になってからは違いますよね、自分から望んでお仕置きを受けに来るわけです。
でもこれは子供ではなく大人だからと私は解釈しています、自分の悪いところを指摘され、それを直すためにお尻を叩かれたい。
悪いことをした罪悪感を取り除く為に叱られたい、そしてそれらを繰り返さない為に自らの意思でお尻叩きを望むという真面目な大人の考えがあるからだと感じます。

更に突き詰めると、親や先生がする躾という概念から考えるとカーは本当はお尻を叩きたくないはずなんですね、その子に良くなってほしくて、それで仕方なく教育としてお尻叩きをするのが根本だからです。
でもスパの世界のカーというのは一般的にお尻を叩くことが好きな人なのでこの時点でまた違和感が生まれてきます。

まぁ私の場合はお尻叩きが好きだからカーさん的なことをしているわけではなくて、精神的な部分を見たいから、そして本当に悪いことに対して罰として痛い思いをしてほしいからという理由であって、本当はお尻じゃなくても罰を与えるのであればどこでも構わないんですね^^;
ただキーさんの要望はお尻叩きなのでお尻を叩いているというだけのことです。
なので悪い事がない限り罰を与えたいとは思いません。

それと実はスパの世界は、キーが全て支配をしているということなんですね。
あくまで私の考えですよ。
カーは奉仕者でしかありません、キーの要望に応えて叱ってあげ、方向性を見出してあげて、戒めの体罰を科すわけですから、お尻叩きのときだけは支配関係があっても実際は違うんですね。
その奉仕者という一面が私は過去に違和感があり、嫌であった部分でもあるんですけどね。

こう考えると叩くのが好きなのがカーではなくて、その人のために親身に叱っていい子になるように躾る事が好きで、本当は叩くのが嫌いなのが本来のカーなんだと思います。
ま、例を大人が子供にするお仕置きに例えるとこうやっておかしくなりますね(笑)

大人になるとお互いにお仕置きを求めあっているから引き寄せあうのであって、キーがはお尻を叩かれたい、カー側はお尻を叩きたいが当然なのですが、キーさんは「お仕置きは嫌だけど叩かれたい」という設定だとしたらカー側は「お仕置きはしたくないけどいい子になってもらいたいからお仕置きをする」という形をとらないとカーとカーが成立しないでしょう。
本当の意味で親と子のお仕置きを表現すると設定の上ではこのような心持ちとなり、そこをカー側がそういう気持ちでお仕置きが出来ているかでキーさんの満たされ度も変わってくると思います。

しかし実際はお尻を叩くことによって性欲を満たしたいと思うカーさんは多いですし、数は少ないですが、キーさんもお尻を叩かれて性欲を満たしたいという人もいるので、やっぱりそこがお互いに合っていないとキーとカーの関係性は難しいんですよね。

またカーによっては性的なことをしたくてスパの世界に入ってくる人がいます。
性的なことをしてくるカーが多いとキーさんからよく聞きますが、それは目的が違うからなんですよね。
カーが性欲を抑え続けられず性的悪戯のような行動をしてしまったり、それができなそうだから自ら離れてしまったりするようです。
結局女性が傷つく結果になり誰も信用できなくなり、救いを求めていたはずなのにどんどん悪い方向に落ちていってしまうんですね。

だからキーとカーがパートナーとなることは違和感が生まれやすくてうまくいかないことが多いんだと思います。
お互いの嗜好は違っても男側が会いたいからと嘘をついていたら女性側はわかりません、それだけ複雑な関係性なんですね。
お仕置きを求める事って子供心には殆どない事だしお尻を叩きたいと思うことも本来のお仕置きとは違ってきますよね、結局はその矛盾点を修復して違和感が出ないように意識を切り替える事が必要になってきます。
キーの心理、カーの心理を読み解くと親子間のお仕置きが無理があると思いがちですが、ただ、カー側の意識の持って行き方次第ではそれは成立します。

それは私が性的欲求がなくお仕置きに取り組んでいるのでよくわかります。
私が求めているものは精神的な部分であり、相手の心を知り、良い方向に導いてあげたいという思いからです。
もちろんそこに悪い事があれば罰を下したくなりますが、なければ叩く行為は必要なく、話をするだけで満足なんです。
そういうつながりを求めているので私を必要としてくれる人には魅力や愛着が湧き、なんとか助けてあげたいと親身になってしまうんです。


続いてSとMの関係性についてです。
S=加虐嗜好、支配欲 M=被虐嗜好、服従欲という意味です。
性的嗜好を持たない精神的な部分でのSとMも存在しますが、今回は性的なSとMについてお話します。

SとMの性癖は上記のとおりですが、この二人がパートナーとなることにより必然的に支配関係が成立します。
なのでS=支配するもの、M=支配されるものとなります。
支配したい人と支配されたい人というのが正しいでしょうか。

サドは加虐したいわけですからそれをどう表現するかなんですね、私の考えですが、人間として一番屈辱的なことをすることが最大の加虐となるわけですからそう考えるとやはり性的虐待となるのではないかと思います。
精神的に最も嫌なことを相手に強要し、受け入れさせる。

どんな理不尽な命令でも受け入れさせ、行動させ、それによって支配感を味わう、その一つが躾であり、落ち度があればお仕置きという形になるんです。
もちろん落ち度がなくても調教という名目や叩くプレイという形をお仕置きと表現することもあります。

この逆がマゾであって支配されて追い詰められたいので、恥ずかしくて嫌なことでも感じてしまうんですね。
痛みで感じてしまう人は上級者レベルですが、ほとんどのMさんは痛いのは痛いのでそれを快楽と感じることはありません。
ただ、痛みで苦しんでも打ちのめされている自分に陶酔するということはあります。
まぁちょっとハードな事を書いてしまいましたが、手加減すればソフトSMとなりますから、初心者でも興味があればその世界には簡単に入れます、相手の手腕次第ですが^^;

まぁ加虐だからといって暴力というわけではなく、怪我のないように手加減をし、その代わり精神的な部分で更に加虐感を煽ることする人もいますね。
怪我をするようなことを望んでいる人いません、鞭や緊縛等は精神的に加虐し、追い込むための一つの道具でしかないんです。
俗に言うハードなSMというのはそういうことを繰り返しやってきた人たちだけのものなんです。
何でハードになるかというと人の欲求には限りがないからなんですね。

欲求が達成できても次にそれと同じレベルでは満足できない、だからもう少し踏み込むみたいな事は日常でもありますよね、それと同じことなんですね。
最初は超軽め、次は軽め、その次はもうちょっと厳しく、その次は・・・・と繰り返していくといつの間にかハードになっているみたいな感じです。
だからパートナーになったばかりでいきなりハードということは、相手がそれを望まない限りしないのが普通です。
徐々に痛み具合を大きくしていく、自分好みのMにしていくことが調教と呼ばれている行為です。

よくSMは痛いから嫌だという人がいますが、痛みがなくても加虐、被虐は出来ます。
そういう人にはお尻ペンだけでもいいんですね、そのお尻叩きによって、肉体的に反応し、それによって更に精神的に感じることができるんです、だから痛くないSMもあり、叩く行為は精神的高揚を煽る一つの方法として認識されるとSMの理解も少しはできるのはないかと感じます。
そしてそのサジ加減を見れるのがSなんです、きちんとした知識を持ったSならば加減が分かるんですね。
サドとマゾの関係性はお互いの求めている根本が合致してるのでパートナーとして成立しやすいと思います。

ちなみに、ソフトSМと呼ばれているのはより軽い加虐と被虐です、それが羞恥責めであったりラブスパであったりで、無意識ですが、厳密には加虐と被虐の関係として知らないうちに成り立っているものなんです。
だから私から見ればハードもソフトも根本は一緒なんです。

ブログを書いてみて最近思うことは、自分を見つめることが出来るってことです。
こういうことを分析していくと自分のことも気が付くんですね。
どういうことかというと、私は日常では奉仕者なんだと、そしてそれを喜びとしているところ。
精神的に悩んでいたり、落ち込んでいたり、様子がおかしかった知り合いがいると必ず声をかけ話をしています、
そこで相手の気持ちを理解し、客観的に話をし、アドバイス的な物の考え方、いろいろな方向性を話してヒントを与えたりしています。

これは決して偽善なんかではなく、本心からです。
まあ、その本心が問題なのですが、何度も書いていますが、私は人の心の闇にとても魅力を感じてしまうのです。
不謹慎ですね^^;
そしてその闇って信用した人にしかカミングアウトしないわけでそれを告白してくれた嬉しさもあります。
何事もなく生活していて数ヶ月してから「あの時はありがとう」といわれた時には私の言動により救われたのかという満足感があり、自分を必要としてくれたことにより私の心の中の隙間に物足りない何かが埋まったような気がします。

だから悩み的なことや間違ったことを正すようなものであれば性欲無しに出来るし、奉仕もしたいと思うようになりました。
実際は奉仕は嫌なのですが、深く考えてみると奉仕そのものだったんです(汗)
奉仕の見返りはやはりその人それぞれの心の闇を覗くことや、信頼してくれることです。
悩みも心の闇ですからね。

過去はSという自意識が強く、奉仕なんてプライドが許さず毛嫌いしていたのですが、それは非日常の自分であって奉仕的な自分を否定したかったんでしょう。
こう考えるとなにか新しい道が切り開かれたみたいな感覚になってしまいます。
だからこそディシプリンスパの性的な事のない家庭的なお仕置きがしっくりとはまっているんだと思いました。

また話が脱線してしまいましたが、こんな感じでカーとキーの本来の関係性とSとMの関係性とは全く違います。
難しいのですがこう考えたらどうでしょうか、
キーとカーは日常生活で親と子供のような関係性であり、SとMは非日常であり、性癖を満たすために加虐と被虐、もしくは性欲を満たす関係である。

人は性欲を持っていても子供をお仕置きするときに性欲を満たすことはしません、でも性欲はちゃんと持っていてちゃんとその処理はしています、それが非日常です。
スパのお仕置きの本当の目的が仮に性欲だけだとしても、それは心に留めておいてお仕置するときにそれを表に出さなければお互いに納得のいく関係は維持できると思います。
それが出てしまったら関係は続かないでしょう。

前記事と同じような事を書いてしまっていますが、結局はお互いの関係性は意識の持って行き方なんです。
それを双方確認し合っていれば問題のないことです。
ただその意識のもって行き方によってスパ的関係にもなりSM的関係性にもなるってことです。
この根本を理解したうえで自分のこと、自分の求めているものを探す判断基準にしてみてください^^





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