お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              カーとキーの関係性


まずはスパのキーとカーについてです。
補足ですが、性的要素の一切ない、純粋な根っからのキーとカーについてですからね。

何回かお話していますが、純粋なキーはたくさんいるのですが、純粋なカーは殆どいないのではないかというのが私がいつも感じている事です。

SとMは支配関係で成立しますが、キーとカーはかなり複雑です。
たしかにお仕置きのときはカーが支配をしているのですけどね。

まずスパというものの根本はディシプリンであり、簡単にいうと子供に対しての教育的な体罰、いわゆるお尻叩きをすることを指すんですね、悪いことをしたら罰を与える。
これは相手の価値観ではなく一般的の道徳的な価値観での教育です。

そしてここで違和感が出るのは子供はお仕置きを望んでいないということです。
しかし大人になってからは違いますよね、初回だけでも自分から望んでお仕置きを受けに来るわけです。
でもこれは子供ではなく大人だからと私は解釈しています、自分の悪いところを指摘され、それを直したい。
悪いことをした罪悪感を取り除く為に叱られたい、そしてそれらを繰り返さない為に自らの意思でお尻叩きを望むという真面目な大人の考えがあるからだと感じます。
更に突き詰めると、親や先生がする躾という概念から考えるとカーは本当はお尻を叩きたくないはずなんですね、その子に良くなってほしくて、それで仕方なく教育としてお尻叩きをするのが根本だからです。
でもスパの世界のカーというのは一般的にお尻を叩くことが好きな人なのでこの時点でまた違和感が生まれてきます。
まぁ私の場合はお尻叩きが好きだからカーさん的なことをしているわけではなくて、精神的な部分を感じたいから、そして本当に悪いことに対して痛い思いをしてほしいからという理由からなんですけどね。
お説教やアフターフォローができない状況であればお尻叩きはしませんし、したくないんです。

それと実はスパの世界は、キーが全て支配をしているということなんですね。
あくまで私の考えですよ。
カーは奉仕者でしかありません、キーの要望に応えて叱ってあげ、方向性を見出してあげて、戒めの体罰を科すわけですから、お尻叩きのときだけは支配関係があっても実際は違うんですね。
その奉仕者という一面が私は過去に違和感があり、嫌であった部分でもあるんですけどね。

こう考えると叩くのが好きなのがカーではなくて人を躾けるのが好きなのが本物のカーなんだと思います。
躾けの一環として体罰であるお尻叩きをするということです。
そう考えていかないとスパのキーとカーが成立しません。
本当の意味で親と子のお仕置きを表現するとこのような解釈になり、私もそこをしっかりと形を作り説明したい部分でもあるんです。
しかし実際はお尻を叩くことによって性欲を満たしたいと思う人がカーということが多いので、キーとカーの関係性は難しいんですよね。

またカーによっては性的なことをしたくてスパの世界に入ってくる人がいます。
性的なことをしてくるカーが多いとキーさんからよく聞きますが、それは目的が違うからなんですよね。
カーが性欲を抑え続けられず性的悪戯のような行動をしてしまったり、カーが性欲を解消できなくて辛くなって自ら離れてしまったりするのだと思います。
結局女性が傷つく結果になり誰も信用できなくなり、救いを求めていたはずなのにどんどん悪い方向に落ちていってしまうんですね。

だからキーとカーがパートナーとなることが違和感でありうまくいかないことが多いんだと思います。
それだけ複雑な関係性なんですね。
お仕置きを求める事って子供心には殆どない事だしお尻を叩きたいと思うことも本来のお仕置きとは違ってきますよね、結局はその矛盾点を修復して違和感が出ないように意識を切り替える事が必要になってきます。
キーの心理、カーの心理を読み解くと親子間のお仕置きが無理があると思いがちですが、ただ、カー側の意識の持って行き方次第ではそれは成立します。

それは私が性的欲求がなくお仕置きに取り組んでいるのでよくわかります。
私が求めているものは精神的な部分であり、相手の心を知りたい、そして安定させてあげたいという思いからです。
だから私を必要としてくれる人には魅力や愛着が湧き、なんとか助けてあげたいと親身になってしまうんです。




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