スパとSMのお仕置きの違い


「スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座」と題して二つの関係性の違いを考えてみたいと思います。

スパとSMは違いますが、捉え方は人それぞれなので曖昧になっていますよね。
そしてごっちゃになっているからこそに弊害があり誤解も生じてきます。
まず、ここでいう”スパ”は性的要素が一切ないものをいいます、つまり親が子供にするお仕置きって性的なものは一切ありませんよね、それがここでいう”スパ”です。
ラブスパなど、性的要素が少しでも含まれるものはSMと定義づけていますのでご了承ください。

講座内容ですが、

1、スパのお仕置きとSMのお仕置きの違い
2、スパのお尻叩きとSMのお尻叩き(スパンキング)の違い
3、カーとキーの関係性とサドとマゾの関係性
4、カーとS(サド)の違い
5、キーとМ(マゾ)の違い

この5点について精神的な違いを分析してみたいと思います。


第一回目は「スパとSMのお仕置きの違い」です。

これらはですね、全てごっちゃになってしまっているからややこしくなってくるんですよね。
ごちゃごちゃしているのは区分け自体の捉え方や感じ方が違うため、結局はその人がどう感じるかになってしまっています。
しかし、それによってパートナーとの違和感が生じて望んでいないことをされてしまうこともあります。
そういうこともあり、ちょっと考えてみようと思いました、そして自分の立ち居地をよく把握できていない方々のアドバイスにでもなればと思います。

純粋なスパのお仕置きは簡単にいうと親や先生的な人が子供を躾けるために行う体罰のことを指し、そこには性的なことは一切ありません。
間違っていることを直し、正しい道へと導く、それは道徳的に間違っていることであって親や先生の価値観を押し付けることとは違います。
虐待ではなく、愛情を持って叱り付けて反省させ、直させる行為なんですね。
これは俗にいうディシプリンですが、このディシプリンという言葉もややこしくてSMもある意味ディシプリンであり、そこでも同じ言葉なためごっちゃになってしまうんです。

ディシプリンとは躾け、教育、体罰というような意味で過去ヨーロッパの方では躾として日常のことでした。
親や家庭教師、先生等が行うわけですから性的な意味は全くないんですよね。
普通に考えてみても、お仕置きのときに子供のお尻を丸出しにして興奮していたずらしてしまう父親、母親なんていないでしょう。
そういう考え方をしてくれると分かりやすいと思います。
それが一般的で正当なディシプリンで正当なスパのお仕置きだと私は思っています。

キーさんは基本的に何か悪さをしてしまったことに罪悪感を覚え、それを吐き出したくてお仕置きを望みます。
または自信のない事、駄目な自分を叱って欲しい、構って欲しい、ずっとそばで見ていて欲しいとも願っているものです。
だからキーさんは痛い行為を望んでいるわけではなく、その痛みがあるから自分のいけないことに向き合い、そして二度と過ちを犯さないと約束でき、精神的な心の安定のためにお仕置きを求めているんです。
例え同じことを繰り返してしまっても本質的な部分は痛みを求めているのではないのです。

スパのお仕置きとは人としていけないことに対してお説教を通じてそのいけない理由を理解させ、罰としてお尻を叩き、反省できたら全てを許し、全てを受け入れ甘えさせることです。
そこには前向きに生きることへ活力を与えたり心の癒し、心の安定があるのです。
スパのお仕置きは人間としての成長の為の躾なんです。
自分を追い詰めてマイナスにしたり、いじめるような言動や、被虐や自虐というものはなく、それがあると精神的にはSM行為ということになってしまうでしょう。


対してSMのお仕置きは支配者対服従者の躾なんです。
まず最初に意識の違いというものがあります。
SMのお仕置きはいじめる事でもあって、Mは被虐感や自虐感をもっているので、言葉や道具でいじめられる事に酔ってしまうんです。
また、Mへのお仕置きはスパと同じように道徳的に間違っていることもお仕置き対象ですが、一番の違うところはSの言う事が聞けない場合、それが全てお仕置き理由になってしまうんですよね。
Sが理不尽なことをいっても受け入れなければならない、用はMは奴隷的な立場なんですよね。
性的奴隷というのが一番の屈辱であるからSは性的要素を含むお仕置きをしたがるんです。
人間として最悪の性的奴隷に落としめ、自分の価値観を押し付けることによって支配関係を維持しようとし、Mも支配者に服従することによって支配関係を維持し満たされるんです。
SMのお仕置きはお尻叩きに限定されず、さまざまな箇所を叩くのはもちろん、叩く以外にも拷問のように責める場合もあります。
そして叩く以外にも恥ずかしい行為もお仕置きとなります。
要は性的なお仕置きです。
性器をあからさまに露出させたり性器や乳房に触れたりすることも私は性的なお仕置きでありそれはSM的だと思っています。
だからラブスパのような前戯的なものは私はスパではなくSMだと感じます。
スパの中にラブスパというものが存在しているから根っからのキーさんは迷惑していることもあるでしょう。

そしてSMのお仕置きは支配者と服従者であるがために支配者の満足がお仕置きのメインです。
だからお仕置きは叩くだけで終わったり、性的要素だけで終わる場合もあります。
お説教やアフターフォローはどうでもよく、要は性欲や支配欲が満たされればよく、またM側の服従欲や性欲が満たされればそれでいいのです。

だからスパとSMのお仕置きは全く違うんです。
そこまで自分勝手なお仕置きではなく、スパのように愛情のあるお仕置きをしていたとしても
道具、言葉遣い、服装、によってSM的雰囲気である虐待や拷問っぽくになってしまうものなんです。
お仕置きのとき縄で縛られたらどうですか?服を着ていたとしてもSMっぽいですよね。
言葉遣いが命令口調で荒かったらどうですか?
服を着ていなかったりバスローブや下着姿だったらどうですか?
そういう雰囲気一つでSM的となってしまうので、本当に意識の差というのは大きいところでもあるんです。


スパの場合、これも例えの話ですが、子供を例にとります。
子供って、叱られてお仕置きを受けるときに泣きながら駄々をこねて素直に謝りませんよね、お仕置きだからこそいやだいやだして逆切れして。
結局自分がした悪いことがどれだけ悪かったのかを体で覚えるしかなく、痛みによってようやく受け入れて反省し、ごめんなさいをする感じですよね。
お仕置きが終わったらケロッとしてまた親や先生に生意気な口を聞いたりふざけたりしちゃいますよね(笑)

だからこれも実は支配関係なのですが、支配というよりも管理という言葉の方が近いかもしれません。
自由があるので完全なる支配ではないからです。(虐待の場合は完全支配ですがここは省きます)
親や先生は子供を管理して、悪いことは愛情を持ってきっちりと叱る、良かったことは褒めてあげる、頭を撫でてあげる、それが躾けであり正当なお仕置きだと私は思っています。

それに対してSMのお仕置きはSが絶対的な支配者であるから駄々をこねたらさらに酷い責めにあうことになります。
お仕置きが終わった後に解放させる一つの手段として抱きしめて頭を撫でたりする行為もありますが支配関係がある限りMはSを小馬鹿にしたり生意気なことをいったりはしません。
それはSの前では絶対服従だからです。

お仕置きという共通の言葉で表現されていても、このように明らかな違いがあるわけだから違和感も生じてくるわけなんですよね。

ということでいきなり結論ですが、
性的なことを含まないお仕置きがスパ(お尻を出すのは性的なことではありません)
性的なことが含まれるものはSM
こう結論付けようと思います。

俺達が違う!と怒りをあらわにされる人もいるかもしれませんが、勝手に線を引かせてもらいました。
実際スパのようにSMのお仕置きをされている方もいます、それは精神的なものを求めてのお仕置きであって、決して性的ではないんです。
でも線引きは必要なことだと私は思います。
みなさん”お仕置き”ときいたらどんな想像をしますか?
ほとんどがSMとか性的なことを想像するでしょう。

でも小さい子供に”お仕置きするよ”っていうのを聞いたらどうですか?
性的要素なんて想像だにしないと思うんです。

私はいくら大人相手でも人間にとっての心の維持に必要な、このお仕置きという言葉を浸透させていきたいんですよね。
どうしても大人になってお仕置きというと後ろめたい感じになってそれがアブノーマルになり性癖と考えてしまう。
そうではなくて純粋にお仕置きとは人間を成長させる手段であって自分のためにお説教や罰を受けて甘える行為なんです。
そこをよく理解して受け入れてほしいと思います。



        



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