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お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              繰り返す ” 虐待 ” 離婚 ” 躾 ”


虐待する親に育てられた子供は、親になったときに自分の子供に虐待をしてしまう傾向にあります。
これは虐待に限ったことではなく、離婚した親元で育った子供も親と同じ離婚を繰り返す傾向があります。
そして虐待まで至らない躾も、感情的になって叩かれて育った子供は、親になると自分の子供にそれを繰り返してしまう傾向にあります。
これは統計上の話で必ずしもそうではないのですが、同じことをしてしまう人が多いんですね。
これは遺伝という曖昧な言葉で片付けられてしまっていることもありますが、そうではないはずです。

どこかに居場所を求め続け、いつまでも満たされないような人は心に闇を抱えてたり愛情に飢えていたりします。
そして親からの愛情という面で満たされていなかった人が結構多いんです。
愛情=過保護ということではなく、過保護だったからこそ愛情に飢えているという面もあるんですね。

自分がされてきて一番嫌だったこと、そしてそれは絶対に繰り返さないと心に誓っているのですが、ある限界を超えてしまうとそれが出てきてしまう。
それは子供の頃に植えつけられてしまった間違った愛情表現から来るものでしょう。
子供に手を出したくないと思っていたとしても他の方法での躾かたが分からない、口で言っても聞いてくれない、感情的に大声を出しても聞いてくれない。
そうやって自分のキャパシティーを越えてしまうと、親に受けてきた自分では絶対にしたくない行為に走ってしまいます。
何故かというとその行為が一番傷つくし、傷つくということは相手が重く受け止めるということに繋がるからです。

そしてその行為は、言う事を聞かすには一番効果があると自分自身分かっているからです。
だから親にされて嫌だったことを無意識に実行してしまうことにつながるんです、そしてそれが歪んだ愛情表現になっているのかもしれません。
無意識に行動してしまうため、親と同じ行動をとってしまった自分を後になって責めて自己嫌悪に苦しむ結果になってしまいます。
しかしこれで言うことを聞いたとしてもそれは恐怖での反応であって心から理解したわけではなく、子供心に”怨”が残ってしまいます。

私の見解ですが、子供の悪い行動に対してはそのことを自分で考えさせ、冷静に、してはいけない理由を説得をし、その上で時には体罰も必要だと思います。
体罰といっても叩く場所は「お尻」でしょう。
頭を叩く場合は本当に手加減をして軽い気持ちでやらなければ危険です。
お尻叩きも手加減は必要ですが、感情的にならず愛情を持ってすれば効果があると思います。
そこには何が必要か、愛情と冷静な感情、子供が納得の行く理由と親の説得力です。
そして子供が理解して反省した後はアフターフォローとして甘える時間をたくさんとってあげないといけません。
それは”あなたが大切だから”という愛情を伝えなければ子供には伝わらずお仕置きが逆効果になってしまうからです。

離婚もそうです、そういう愛情表現を子供の頃に強制的に受け入れなければならないのです。
離婚となると一般的な幸せな家庭とは違う環境になってしまいます。
そして子供は親に依存してしまっているため、親のためにこれは正しい選択だと心に刻んでしまいます。
頭の中では離婚は駄目なことと思っていますが、心の中では親のために、そして自分のためにどこか正当化しているところがあり、そこが原因なんだとおもいます。
それに、離婚に対する抵抗感が一般より低くなってしまうので我慢する限度も低くなってしまうのかもしれません。
絶対に繰り返さないと決めていても繰り返す由縁だと思います。

また、似たようなお話ですが、
愛情を持って躾をされていない子供はどうやって自分の子供を躾けたらいいのか分からないものです。
父親がいない子供は父親の愛を知らない、だから父親としての接し方が分からないんです。
母親にしても同じことがいえますよね。
これは知識として頭で教えてもらうのと、精神的に植えつけてきた現実とは違います。
みなさんは知識として頭に植え付けられている正当なことをしようとしますが、ある壁を越えてしまったときに精神的に植えつけられていたことが出てしまうというケースがなかったでしょうか。

ドラマやアニメを通じて一般的に幸せな家庭と呼ばれているものは単なる理想であって、みんなそれを実現しようとしますが、頭だけで分かっていても体験的に植えつけられてきた精神的な部分では理解していないため、違う行動をとってしまうんだと思います。
自分の心に聞いてみればみなさん少しは心当たりがあるのではないでしょうか。
そしてその理想の家庭像からかけ離れてしまうような現実の不幸な家庭の話は、隠してしまうため表に出てこない。
だからこそ、他人の家は問題がないように見えて幸せに見えるだけなんです、てもどこの家庭でも何かしらの不幸を抱えているものです。

叱られるのが分かっていても、自分の好奇心のために行動できる子供は、将来自分からいろいろなことにチャレンジできるようになるので自立もできますが、親に指図され反抗することなく育った子は自分で判断して行動するという能力に欠けてしまいがちです。
それは自分の意志で動こうとしても親に否定され、叱られ、その圧力に負けてしまい、行動ができないためです。

それが子供時代当たり前になっているので自発して行動することをいつの日か諦めてしまいがちなんです。
子供は生きていくために、心を楽に生活していくために、親に従い、親の顔色を伺い、親を満足させる。
それが使命となってしまって本来の自分を形成することを放棄してしまっている人が今の時代結構多いんです。
そしてどんなケースであれ子供心に不満がある、それを満たされたい。そう思うんですね。

幸せな家庭って本当にあるのでしょうか?
それって世間で作られた架空の世界なんじゃないかとも思います。
そんなに完璧な親なんて存在しないと思います。
幸せな家庭というものを覗いてみるとどれだけ悲惨な光景が待ち受けているか。
普段はおとなしそうな奥さんでも、子供に罵声を浴びせたり男口調で怒鳴り散らしているなんてざらにあります。
個々の家庭にしか分からない苦悩や試練があるんですよね、完璧な人間なんていないのですから。
そこに理想の家庭像みたいなものが存在しているからどうしても比較してしまうんです。
でも比較対象が作り上げられた架空のものなのでどんどん満たされなくなる原因になると思います。

人って比較することで他人との優越をつけたがるんですね、そして良い面は表に出しても悪い面に対しては他にはそれを見せないように生きています。
更に視野を広げると、日本は海外から比べると幸せすぎる国です、その幸せすぎる国の中でも、幸せを比較してしまいます。

比較しだすと他人より不幸だと思った場合、精神的に辛くなる人が増えていくことは間違いないんです。
しかも今の幸せからレベルを下げることはできなくなってしまうので、経済も心も今以上にならないと不幸に繋がるんです。
そういう傾向をなくしていきたいと私は思っているしそういう精神的な部分をケアしたくてお仕置きに取り組んでいます。

人それぞれ痛み方や感じ方は違います、でも日本で不幸だと思っている人でも、仮に他の国へいったとしたらどんなに幸せか、どんなに満たされているかを実感できるかもしれません。
そういう気持ちを持って生きていけば自分の苦しみも軽減できるのではないかと感じます。
しかしここは日本、そして傷ついてしまったものはもう取り戻せません。
ただ、「愛情」というもので全ての感情をコントロールしてしまう、この精神的なものは凄く偉大で、しかし逆に恐ろしいものだとも思います。

こんなことを考えていると最近思うことがあります。
簡単に子供を産んでいいものかどうか、少子化を防ごうとしているが安易に子供を作っていいのか。
未熟な親が多すぎるこの世の中で、更なる犠牲者(子供)を出していいのか。
そんなことが心配になるこのごろです。

初めの題名と話がそれてすいません。
それぞれに違う面があり、細かい心の部分は様々なものがあるのに総論で書いてしまいました。
ただこのようなことで大人になって苦しんでいる方は自分を責めずに自己防衛の手段だったんだと思ってください。

児童は被害者ですが、親自身もまた被害者でもあったわけで繰り返したくないこともしてしまうという二重の苦しみでしょう。
自分を理解し、そして少しずつ自分を変えていく努力をしていってほしいです。
そしてその姿はきちんと子供に伝わるはずです。
子供に愛情が伝わらなければ愛情とはいいません。
叩いても怒ってもいいです、すくなからず微塵の愛情は感じさせてあげることが大事です。

感情を出して子供の前で泣いてもいいでしょう、親として意地を張らず、親も失敗することを子供に教えていくことも大事なことです。
そして時には子供に謝る勇気も必要です。
もっと気楽に、そして広い心で人と接することができるようになりましょう。
そうすれば子供も親の苦悩を理解してくれるようになりますからね。

愛情を求めていたり甘えることをしたいと思っている人はほとんどだと思います。
愛情の表現もその人により違いますが、全ての人に共通していることは愛情と甘えたい欲求なんだと思います。
甘えるということは人と触れ合い、相手が自分に対して反応してくれるという広い意味です。
愛情によって何か足りないものを補おうとしています。
その何かを探し、彷徨い、傷つき、それでも生きていき、自分の本当の居場所を求めているのかもしれません。

人間って本当に切ない生き物だとつくづく感じます。
でもそんな切ない人間が私は好きです。



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