お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              期待することによる弊害


人から期待されることって嬉しいことでもありますが、反面それを裏切ってはいけないという気持ちから自分を着飾ってみたり、偽りの自分を見せてしまっていることってありますよね。

また、期待をする方も、そのことが出来たり守ってくれたら嬉しいとか、それができなかったら悲しいとか、そういう表現で相手のやる気や持続感をより出すように仕向けたりということは普通にあることですよね。

まぁそう仕向けたとしても演出とかではなく、本心で嬉しいとか悲しいと思っていることは嘘ではないのですが、それによって相手に逃げ場を与えず苦しい環境に追い詰めることにつながりかねないこともあると思うんです。

そんなことを思う出来事がこの間あり、私もそれについてこれまでのことも含めいろいろと考えさせられました。
お酒を飲まないという約束を毎回破ってしまう子のお話なんですが、
実はその子は未成年で来月二十歳になるんです。
で、今はまだ法律的にお酒を飲んではいけない年齢なのでもちろんお酒を飲んだら許しません。
初めて会った時から会うたびに毎回飲酒でのお仕置きをしています。
さすがに気まずいということもあり、会ったときはお酒を飲んでいないというのですが、私の場合あやしいと思ったらそれを引き出すような会話をしていき矛盾を見つけたりします。
その中で顔に出てしまったり矛盾を追求していく中で逃げ場をなくし嘘を暴くみたいな感じです。
誘導尋問をしてみたりいろいろと追求して相手の様子を探ります。
でも、あからさまに嘘と断定した接し方は相手を傷つけてしまうのでしません。
ま、結局は相手が嘘を突き通せば納得をせざるを得ないですし、そうなると嘘は暴けないんですけどね。
なんだかんだいっても相手の変化の一部を見つけることは可能でも相手の心を見通すことはできませんから。

あ、話を戻します。
実際は未成年といっても19歳なので暗黙的にはみんな飲んでいるのが現状ですが、私とその子の関係性上、それは認めることができず厳しくお酒を禁止しているんです。
実際私はというと、未成年の時にはお酒を飲んでいたし、その頃の人付き合いという面での気持ちはわかるんですけどやっぱり立場上黙認はできませんからね^^;
そういうことを少しでも許してしまっては全てが成り立たなくなってしまうので、誰に対しても細かいことにも目をつぶらずに接しているんです。

で、私の場合、お仕置きのあとに時間があればその相手と飲み屋さんに行くのですが、まぁそれは私がお酒好きというだけのことで、お酒を飲みながらお話をするのが楽しいという自己満足なんですが・・・。
飲み屋さんにはその未成年の子も連れていったりするのですが、当然のことながら一度もお酒を飲ませたことはありません。
一緒にお酒は飲みたい気持ちはすごくあるし私以外の人とは飲んでいることも知っているので一人の人間としては飲ましちゃおうかなって思うこともあるんですけど、やはり私との関係性上はそれはできません。

それで、毎回毎回お酒でのお仕置きをしていたのですが、もう20歳になるまで1ヶ月を切ったころ、それくらいの期間は我慢させて、なにかしらの達成感を味わってもらいたいと思うようなりました。
その子には
「20歳になったお祝いで一緒に乾杯しよう」
といい、
「それまで我慢できたら絶対嬉しさは倍増するし、私も凄く嬉しい気持ちになるよ」
っていったんですね。
でもお酒飲んじゃったら残念だし悲しくなるよっていうことも言っていて、だから私のためにも頑張ってというような形で約束をしたんですね。

それから少し日にちが経ってからメールで
「お酒飲んじゃったら悲しい?」
というような感じのメールが来て、それに対しては
「飲んでしまうことは悲しいけどそれは仕方のないことでもあるから嘘だけはつかずに正直に言って欲しい、嘘をつかれることが一番悲しいからね」
というような返信をしました。
「飲んじゃったの?」と聞くと
「飲んでないよ、ただ聞いただけだから気にしないで」と返事がきました。
結局は後日飲んでいたことが発覚してお仕置きをしたのですが、
その時に私はそれに対して、残念だとか悲しいだとか言ってしまっていたんです。
とにかく後数週間のことなんだからなにがなんでも我慢させたくて、それは私の自己満足のためだけだったかもしれません。

で、つい先日の話ですが、私はその子と会った時に、前日に何をしていたのかを聞いたんです。
そうすると
「10時過ぎまでバイトして、そのあと家に帰った」
といったんです。
でもその日会ってすぐの会話では
「昨日は0時過ぎに家に帰ったら親と喧嘩になっちゃって、そのまま友達の家に泊まった」
と言っていたんですね。
「22時に仕事終わって何で0時過ぎに家に帰ったの?それまで何していたの?」
と聞くと、
「バイトの人と話していたら遅くなった」
といいました。
「本当に22時であがったの?本当に話していただけ?」
と聞くと
「そうだよ」
と答えるだけでした。
「昨日はご飯を食べに行ったんだろ?分かっているんだよ」
と聞いても知らばっくれてましたが、長い時間をかけてさらに追求してみると、結局は21時にバイト終わって食事に行ったことを白状しました。

なんで私はそこまで食事に行ったと決めつけられたかっていうと簡単なことで、
朝から焼肉の臭いをさせながら話している時点でもうバレバレだったんですよね(笑)
夜の焼肉のあとはいくら歯を磨いたり気を使っても多少焼肉独特の臭いが残りますから^^;
私はそこまでちゃーんと把握して話をしていたんです(笑)

で、そこからはなんでそんな嘘をついたのかを追求したのですが、黙ってばかりで答えようとせず、以前は普通に話をしていたことを今回は話をしない。
何かを隠しているのは事実でそれについて追求をしましたが何もいおうとしません。
私はその子に
「嘘で付き合うような関係なら私でなくてもどこにでもそんな人はいるだろ、嘘で格好付けるような関係になってしまうのであれば私と一緒にいる意味はないし、そこは重要なことなんだよ」
といいました。
そうするとその子はしばらくの沈黙の後、重い口を開き
「お酒飲んだことをバレたくなかった」
と言いました。
「そんなのお酒飲まなかったって嘘つけばいいだけで、なんでその前の出来事にも嘘をつくの?」
というと、
「結局いつもどこかに食事に行ったというとお酒のことを追求されて言葉や顔にでちゃってバレちゃうから」
と答えました。
だから食事に行った出来事自体を無いことにして嘘をつこうと考えたようです。
私はその子に、嘘を嘘で塗り固めてしまうとそれまでの積み重ねてきたことも何もかもが崩れてしまうことにもなりかねないのでそういうことは絶対にしないようにと言い聞かせました。

実際私は嘘の真意についてもっと大変な事を想定していたので、お酒を飲んだことがばれたくなかっただけということを聞いて安心はしました。
お仕置きされたくないからその出来事について嘘をついたりごまかしたりするのはそれはしょうがないことだと思うのですが、それ以外の出来事についてはごまかす必要なんて何もなく、なんでも正直に話をすることが基本にあるのでそいういう意味ではその理由にホッとしたんですね。
だからといって嘘をついていいということではないのですが、嘘をつく理由というのがしっくりくるのがお仕置き逃れくらいしかないのでそれ以外の嘘は二人の関係性上よりダメなことなんです。

でも結局こんなくだらない嘘を招いたのは、私が期待してしまったせいでもあって、この子は私の期待を実現しようと思い、喜ばせようとする気持ちと悲しませたくないという気持ちで自分が飲んでしまった事実を隠そうとしたんですね。
しかもいつものように普段の行動を報告してしまうとそこから追求されて飲酒がバレてしまうのでそこを変に学習して行動自体を無いことにして嘘を嘘で塗り固めてしまったんです。

それを考えてみると結局は私の自己満足な考えでその子を苦しめてしまったんだなと感じ、今回のことは反省するきっかけとなりました。
約束を守ればいいことなんですが、もしそれができなかったときに、心が優しいからこそ、そこまで考えてしまうのであって、それができなかったときにはそれをどう消してしまうのかを必死に考えてしまうのでしょう。
それもこれも相手を悲しませないため、喜ばせるためにしていることで、自分は嘘をついていることで傷つき苦しむのですからとっても切ない優しさなんですね。
私はそんなことは求めていないし、いつも正直でいて欲しいと思っているのですが、今回のことは私にも責任があったんだなって感じました。
これまでも私はこれに似たようなことをしてきてはいるのでそのたびに相手を苦しめたり、嘘をつかせてしまって罪悪感に苛まれることをさせてしまっていたのかなと考えさせられました。

期待するにあたり自己満足な感情が入り込みすぎると、期待することへの弊害というものが出てきてしまうんではないかと感じます。
だから私が喜ぶとか悲しむとかいう自己満足な感情を伝え過ぎるのではなく、時には毅然として当たり前のことはやって当たり前という態度で十分であると思います。
また、やる前や約束をした時に感情を出し過ぎて期待するのではなく、約束を守れた時や何か出来たときにめいっぱい喜び、そして褒めてあげるのがいいのかもしれません。

しかし期待することはとても良いことでもあって、やる気にもさせるし持続力もつけさせるし、その言葉は魔法のようなものでもあると私は思います。
ただ使い分けがとても難しいことでもあって、期待するにも必ず”逃げ場”を与えることが大切なことだと感じます。
その逃げ場をどう作るかはその人やその状況により変わってくるものでもありますが、それによって嘘や偽りで傷つくことを避けられるのではないかと思います。
耐えられる心の限界は人によって違うものです、「こんなことくらい」とよくいいますが、それはその人自身の心の限界であって、人によってそれは極端に違ってくるものです。
だから私はどんな悩みでもその人にとってはとても重いものなんだと受け止めて真剣に話を聞いています。
自分の心や他人の心で比較して「こんなことくらい」なんて考えたりはしません。
一般的に作られた「こんなことくらい」というくだらない悩みだとしてもその人が真剣に悩んでいるとしたらそれは重大悩みなんです。

だから逃げ場を与えるのにもその人やその状況によって真剣に考えなければならないし、例え考えたとしても人の心なんてそこまでしっかりと分かり得るものでもありませんから本当に難しいことなんです。
これは繊細でとても難しいことなのですが感情の調整というものをその都度しっかりと考えて言葉にすることが大事で、そうしないと相手を苦しませる結果になりかねないとつくづく感じました。




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