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お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

             自分らしく生きることについて


自分らしく生きるってどういうことなんでしょうね。
自分らしく生きるということは、偽りの自分ではなくありのままの自分でいるということなんでしょう。
ただそれがなかなかできないでいる背景には、自分らしくすることが必ずしも幸せにつながるとは限らないからなんだと思います。
自分らしく生きることができないでいることで自分を責めてしまう人はかなりいます、特に真面目に育った子というのは、少しでも自分をつくろっていると、それだけで嫌になったしまったりするようです。

そもそも自分らしさってなんなんでしょうね。
少なくても自我をそのままだし、自分勝手にやりたい放題行動することは違います。
それは理性をコントロールできない社会不適合者です。
自分らしさといっても最低限のマナーや気遣いは絶対条件です、それは守られた社会の一員としての義務だと思います。

では何事にも正直で、そして嘘をつかないことが自分らしさでしょうか。
私はそうは思いません、私は嘘には「ついてはいけない嘘」と、「つかなければならない嘘」とがあると思っています。
しかし真面目な人ほど、他人に思ってもいないことを言ったりすることをお世辞や媚びを売るというような解釈をしがちで、そういう自分が嫌になるようですね。
でも他人に気を遣ったり、不快にさせないようにすることは必要なことで、それはお世辞や媚びを売るということではないはずです。

私たちは他人がいるから存在価値があるわけです、それは間違いのない事実です。
もし人類が自分ひとりであれば自分が存在していること自体誰にも認識されないわけですからね。
そうだとすれば、他人というものはとてもかけがえのないもので、そういう人たちとのコミュニケーションというものはとても大事になってきます。

人の悩みの全ては対人関係と言い切っている心理学者もいるように、悩みの根本は全て他人と関連してくるものです、だからこそ相手を不快にさせない言動というものが大切になってくるんですね。
人間がそれぞれ正直にものを言っていたらとんでもない社会になるでしょう。
でも気遣いによって相手を思いやり、自分が思っていることと違うことを言うことは、他人とのコミュニケーションをとるためには必要なことです。
そのことにしっかりとした”信念”を持っているのであれば、自分に嘘をついているわけではなく、自分の信念に基づいてつかなければならない嘘をついているということで、それが自分らしさでもあると私は思うんです。
お世辞を言うとか、媚びを売ることについて、そこに信念がなければそれはただの卑しい言動です。
でも相手を気遣い、時には嘘をつくということは、極論で言うと、それが相手の幸せ、そして自分の幸せに繋がるはずと思います。

自分らしさとは、自分がしたいことをすることでもあり、それは幸せに通じることです。
自分がしたいことが「他人を不快にさせないこと」というのであれば、それが本人にとって、幸せな事であり、自分らしさであり、信念でもあるわけです。

他人を不快にさせないとか、嘘をつく、つかないというようなことを除いても、自分らしさというものは様々です。
自分のために生きることに自分らしさを感じる人
逆に他人のために生きることに自分らしさを感じる人
更には自分を苦しめることに自分らしさを感じる人(苦行等)

自分のしたいことというのは個人の欲求であり、その欲求が満たされれば幸福感を感じます。
その結果、精神的に安定し心の健康が保たれるわけです。
人生において何が自分の幸せなのか、何を目指して生きていきたいのか、どんな自分になりたいのか、自分が死んだときに後悔しない生き方は何か、何をしていたら満足できるのか。
出来上がった常識に囚われずに本当の自分と向き合うべきだし、それが自分らしさなんだと思います。

こういったことを整理していけば自分らしく生きることとはどういうことなのかということも分かってくるのではないでしょうか。





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