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お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              いい子の呪縛


はたからみると間違いなく”いい子に見える”キーさんは、口をそろえて「私はいい子じゃない、真面目じゃない」といいますが、そう考えてしまうのは”いい子の呪縛”に囚われすぎているからなんだと私は思います。
それはキーさんに関わらず、真面目でいい子と言われ続けてきた人全般にも当てはまるでしょう。

「いい子の呪縛」とは、「いい子でいなければ私は愛されない」「認められない」「見捨てられてしまう」というような不安な気持ちが心にあり、そうならないようにという理由でいい子を演じ、その不安から逃れようと無意識に行動してしまうことです。

そんな子たちは、第一印象で「いい子だね」「真面目だね」とレッテルをはられ、そういわれるといい子にしていないと受け入れてもらえないのではないかと錯覚をしてしまい、ついいい子を演じてしまうんです。

演じるといってもそう簡単には演じられないものですが、根が真面目だから演じられるものなんですね。
演じる理由の多くは「愛してほしいから」「認めてほしいから」「見放されたくないから」というようなことですが、そんなよこしまな気持ちで”いい子を演じているからこそ、「いい子でも真面目でもない」と思ってしまうのでしょう。

ま、はっきりいって私はよこしまな気持ちとも思わないし、人間が愛されるためには普通の行動であって、それがいい子だと思うのですが、やはり根が真面目な子はそういう理由のためにいい子を演じるのは違うと思うようですね^^;

そうやって自分が納得できない動機でいい子を演じているからこそ、「いい子」といわれるのが嫌で、「私はいい子なんかじゃない」と心の中で反発してしまうのでしょう。
人にいい子と思われたくてそうしてきたわけではなく、そもそもは大人に見捨てられないため、嫌われないため、そして愛される子になりたい一心で頑張っていたわけですからね。

しかしそうやっていい子にしてたつもりでも、肝心な両親には伝わらなかったりして虚しくなることもあるようです。
他にも明るく振舞う苦しさと葛藤したり、いい子を演じ続ける生きづらさを抱えていたりと、苦悩を持っている子は多い気がします。
そうやっていい子を演じて生きていると、いい子でいても何かいいことがあるのか、その先に何があるのかと考えてしまうでしょうね。

これはよくあることなんですが、真面目だからできて当たり前と思われてしまい、頑張っても頑張っても褒めてくれないし、認めてもらえない・・・。
いい子だからこそ、些細な悪いことも見逃されてしまう・・・。
人に嘘をついたり、一生懸命に反抗してみても気づいてくれない…。
これじゃ真面目にいい子を演じても何もいいことが無いと悲観的になってもしょうがないのかもしれません。
大人からしたら手のかからないいい子としてみているだけなのですが、本人からしたら放っておかれて相当寂しいはずです。

かたや悪い子はちょっと頑張ったら褒められて認めてもらえる。
当たり前のことしただけなのに大絶賛で注目を浴びる。
悪いことをしたら大人がしっかりと向き合って叱ってくれる。

いい子は褒められるべき立場なのに放任で、悪い子ばかり構ってもらうというのは、よくよく考えるとおかしな世の中ですよね。
本来、いい子といわれている子たちは、叱られたいのでもなく、悪いことをしたいわけでもなく、ただ単に同じように認めてほしいだけなんですけど、それを大人がしてくれないために、不平等感を抱える子が多いような気がします。

いい子にしてても認めてはもらえない、逆にいうといい子だからこそ結果放っておかれる。
そんな生活を繰り返していたら、必然的に叱られたい欲求、構ってもらいたい欲求というものが湧き出てくるのは自然な事で、そうであるからこそ、子供のように叱られて甘えたいという気持ちにもなるんでしょう。
大人になった今なら子供に返って、子供の頃に満たされなかった心の部分を満たすことができるかもしれないと思って当然です。
そしてその心を満たすものが一連のお仕置きの流れで、それがぴったりとはまってしまうんでしょう。

どこで目にしたのかは様々ですが、幼稚園や学校、アニメ、童話などからお仕置きの光景を目の当たりにして、そこに自分の満たされていない部分があると心の隙間にすっと入り込んでしまう子は多いでしょう。
殆どの子は無意識ですが、心の中ではこのようにお仕置きに惹かれるのは必然だと私は思います。

また、そういった目で見たお仕置きではなく、ただ単に悪いことは叱ってもらいたいと思う子もいます。
また、お仕置き関係なく、大人に構ってもらいたいと思って、気を引くために何かちょっかいを出したり悪戯をする子もいます。
叱られたり、罰を受けたり、愛情をもって向き合ってもらうことこそが、構ってもらうにあたって一番しっくりと満たされる愛情表現なんででょうね。

それと、私は演じることが悪いこととは一切思っていません。
人は他人がいて初めて人間らしくなるんです。
人とのコミュニケーションにおいて演じるということは大切で、それができなければそれは単に自己中で関わりたくない人間となるでしょう。

少なからず人間は演じていて、その究極を追求していくとそれは自分の為。
相手のためにというのはそう思い込んでいる幻想なだけで、深層心理下での本当の気遣いは自分の為ではないでしょうか。
だから自分のために演じていてもそれは人間らしさだと感じます。

たとえいい子を演じていたって周りから見た印象はいい子です。
悪いことをする人は不快に感じます、でもそういう人でも演じればいい人になります、でもそれができない人が悪い人なんです。
だから演じていてもいい人になれるのならそれがいい人なんだと私は思っています。
もともと人間は残酷な生き物でそれに蓋をして今を生きているんですからね、腹黒さなんて誰しも持っているものなんです・・・。

だからいい子の呪縛は別に解かなくていいと私は思います、演じてしまえるのは自分を抑えることができるからで、それは人間生活、社会生活を送るうえで一番必要なスキルだと思いますし、そういう子は尊敬に値すると思っています。
それでも「いい子の呪縛」を解きたいと思っているなら、”いい子を演じているという想いに囚われすぎない”ことですかね。

でもまぁ、一時でもいい子の呪縛を完全に解きたいのであれば、私のところにお仕置き依頼、カウンセリング依頼をしてみて下さい。
子供に返って解き放てばいいんですからね^^
カウンセリング依頼の場合はお仕置きはしませんが、それでも過去と向き合うことができれば何かが変わってくるはずです。
何かが変わればそこに新しい何かが生まれるはずですからね^^
こういうキーさん的な心理はみんな抱えているものです、一人だけではありませんから心配ご無用です^^



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