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お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

              死と向き合った時


自分の死に関して向き合った人は多くいると思いますが、余命的な事、死の宣告、またはそれに近い形で死への恐怖と向き合った人は少ないでしょう。

例えば、癌と診断され、余命を告知された人の絶望感は計り知れませんよね。
癌に限らず余命宣告、不治の病、病気の潜伏期間中等様々で自分ではどうすることも出来ない病気があります。
周りができることはその心境を想像して同情し、明るく元気付けることしかできません。
しかし、そんな空気は相手にはばればれで余計気を使わせる結果になってしまうようです。
ただ、経験のない人はその未知の恐怖を自分に当てはめて空想するしかなくこれは仕方のないことでしょう。

もし今、自分がいきなり余命宣告されたらどういう心境になるか想像してみてください。
死までの道のりをどう生きていくか、どうやってその恐怖を克服するのか。
このように考えるだけで普通の生活がどれだけ幸せだったのかを感じさせてくれるのではないでしょうか。
今まで自分がしてきた些細な事も素直に反省し自分を見つめなおすことも出来るのではないでしょうか。

なんでこんな話をするかというと
実は私は2年ほど前にそのような体験をしました。
余命宣告をされたわけではなかったのですが、私自身は死を前提に考えていました。
きっかけはあったのですが、ある部分が痛み、1年ほどいろいろな整形外科や整体に通っていたのですが、全然治らずにいたんですね。
その中で、ある整形外科に行ったときに「捻挫ではないと思う」といわれその分野に詳しい医師を紹介してもらいました。
詳しく調べてもらうと「腫瘍が骨を蝕んでいる」ということでした。
その時は頭が真っ白でしたね。
手術をして腫瘍を取り出して病理検査をしてみないとその腫瘍の正体がわからないとのことでした。
すぐに手術の予定日を決めたのですが、その日以降ネットを駆使してその部分にまつわる病気を調べてました。
まあ、嫌な情報ばかりで絶望しましたね、良くても切断、それでも再発の可能性は高い、通常の症例だと死みたいな感じでした。
初めは向き合うことはせず、しつこいほどネットで調べていましたが結果は悪い方向ばかりでしたね。
もうその時は自分が死んでしまうということが信じられず、間違いではないのかと必死に命をつなぐ情報を探していたような気がします。
しかしいくら探してもどうにもならず、見ないようにしていた死を、見なければならなくなってしまったんですね。

で、やっと死と向き合うことにして、死を受け入れ、これからのことを考えてみることにしたんです。
私の場合、人と違っていると思うのですが、死を受け入れた瞬間からそれまでのモヤモヤ感や恐怖感がなくなったんですね。
それよりも死がいつか分かっていた方が自分の整理したいことができ、やり残していた事もできる。
それってすばらしいことだなって思うようになったんですね。
それは、急な病気、交通事故や災害等の不慮の事故で死んだ場合と比べれば、とりあえずの自分のしたいこと、しなければならないことを完結できると思ったからです。

その時に初めて自分が死と向き合った時に自分がこうなるんだと知り、そしてそれは自分が想像していたものと違っていました。
余命告知とは違ってまだその前の段階なので、全然アマアマではありますが、私自身はそれと同じように捉えていました。
その事がきっかけで心境の変化もありましたね、より人を優しく見ることができるようになったような気がします。
死の狭間で苦しんでいる人、心の闇と葛藤している人、精神的に苦しんでいる人の傍にいたいと思うのは前からあったことですが、このことがきっかけでさらに強まりました。
痛みを分かっている人でないと分からないことっていうのがあって、それは本当に繊細な部分ですがそういうところでの心の共有をしたいのかもしれません。

身の回りの整理と格好のいいことを書いていましたが、なんといっても一番気になったのは「お道具類」でしたね。
私の場合、エロい本やビデオ系は一切ないのでその部分はいいのですが、道具類はそのまんまですからね、死んだ後に暴露されるっていうのは死んでも死にきれませんからね。
みなさんも気をつけましょう。

ちなみに手術で腫瘍を取り出し病理検査をしたところ良性の腫瘍だったため、一安心でした。
その後病院には通いましたが再発の心配はないようで、とりあえずその後異常がなければもう来なくていいということになりました。
ま、おかげでいろいろと人生や生き方に対して向き合えて良かったのかもしれません^^;



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