お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

                   お仕置き観 3


ここまで書いてきて振り返ってみると、
私はキーさんをキーさんでなくすための活動してる、みたいな話になってますね(笑)

そうかもしれません。
キーさんにはお尻叩きのお仕置きの依存からは、”いずれ”は卒業してもらいたいんです、それが私のお仕置き観です。
いつまでにというわけではないのですが、50歳、60歳になってもお仕置きを求めていては相手も見つからないでしょうし、心が苦しくなるのが目に見えています。
そういう訳でいずれは卒業して欲しいんですね。


私はいつもみんなに背中で語りかけています。

「叱らなくたって、お尻を叩かなくたって、愛されるし、見放さないんだよ」

「失敗しても悪さをしたとしても、無条件に愛されるし、見放すことなんてないんだよ」

「お仕置きがなくたっていくらでも甘えられるんだよ」

「弱みを見せたって嫌わない、そんなことで嫌う訳がない、だから弱みを見せたっていいんだよ」

「何もできなくたって、何も取り柄がなくたって、ダメなあなたでも、それでも見捨てることなんてない、愛されるんだよ」


このような当たり前のことを当たり前のように感じてほしい、これは特別な事なんかでもなんでもないんだよって気づかせたい。
そしてその愛情をあなたの大切な人や愛する人に私のような行動をもって伝えていってほしい。
それが特別ではなく、それが正常なんだってことを分かってほしい。
そう語りかけながら愛情を注ぎ、お仕置きをしています。

お仕置き行為じゃないと愛情を感じられない考えになってしまったのにはいろいろな環境によるものだと思います。
叱られた経験がない人、何をしても許されてしまう人、親の顔色を伺って生きてきた人、暴言、暴力を受けてきた人、育児放棄されてきた人、厳しくしつけられてきた人、共働きで親とのコミュニケーションが取れない人、弟や妹がいて、甘えることができない、甘え方を忘れてしまった人、失敗をしたら見放すような言動をされてきた人、親がいない人、何不自由なく暮らしてきた人、周りにちやほやされて生きてきた人、いじめを受けてきた人・・・・・。等々、子供のころの様々な要素で考え方ができあがってしまったのでしょう。

それは自分一人で生きていくための手段、知恵なのかもしれません、自分を守る工夫なのかもしれません、それはわかりません。
一つ言いたいことは、親だって人間です、子供にとっては絶対的な存在であり、生きる見本ですが所詮人間なんです、未熟な人間なんです。

立派な人も中にはいるでしょう、しっかりと愛情を与え愛情あふれた大人へと自然に育てられるような親が。
でもそのやり方がわからない親もいます、そういう親は子供のころにそのように育てられたからそれが無意識に正しいと思い込み連鎖していくこともなかにはあり、そうだとするならばその親も被害者、みんなと同じ立場ということです。

また勘違いしている親もいます。
叱らないのが愛情だ。
叩かないのが愛情だ。
贅沢させてやるのが愛情だ。
放任して、やりたいことをやらせてあげるのが愛情だ。
それを受けた側の子供は不満を感じることはありますが、親としてみたら、これは親なりの大きな愛情なんです。
大きな愛情には間違いないのですが、その考えが未熟だから、子供の精神的な成長への弊害となる可能性が高いことに気が付かないのです。

また、突き放したら言うこと聞くだろう、期待をかければ頑張るだろう、自分の思い通りの人間に仕上げたい、怒鳴れば、暴力をふるえばいうことを聞くだろう。
そのように勘違いしている親もいるのが現状です。
ただ、その行為が正しいと思って、それが愛情だと思ってしていることも多くあります。
実際はさじ加減、とっても難しい加減ですが、バランスをとらなければならず、そのバランスは同じ子供でも違います。
それを間違いなくこなすのは私は実際問題不可能だと思っています。
だから親も責めきれない、愛情を与えようと必死な親は絶対に責められないのです。
だから親に不満を抱える人たちも、このようなことを理解してあげて、大きな目で親を包んであげてほしい、それが親に対する優しさであり、実は自分の為、これまでを受け入れる大切なポイントになりうる一つであると私は思います。

だから親は恨まないでほしい、恨むに値する親もそれはいるでしょうけど。
大切なことは親は完全ではないということをまず知ってほしいということです。
だから許してやってほしい、広い目で、大きな視野で親を見てあげてほしい。
大人に成長したあなたなら私は出来ると思います、そうすることであなた自身の心が軽くなることにつながると思うんです。

なにか、テーマのお仕置き観から離れてしまったような感じですが、私の一連のお仕置き活動には実はこういうことが根底にあるのです。
それはお仕置きの世界に入り込めば入り込むほどそれを追求している自分に気づきます。
だから当初のブログでの私のお仕置き観とは微妙にずれているかもしれませんがそれはどんどん進化していき追求していっているからこそだと思います。

仮にキーを卒業し、巣立ったとしても、お説教がほしかったらいつでも私はお説教します、愛情の再確認をしたい時、甘えたい時はそうすればいいんです。
その時にはお仕置きやお尻叩きへの欲求は一切なくなってるのかもしれません、それでも私が悪い子だと判断したら叩くとは思います(笑)
えっ!?それじゃいつまでたっても卒業できないって?
そうかもしれませんね^^;

まぁ実際問題卒業出来るかどうかというよりも、今の何かしらの欲求を満たすこと、十分に味わっておくこと、それが大切なことではないかと思います。
だから卒業なんて考えずに、お仕置きに依存していても、そうでなくても、お仕置きという行為自体に興味を持っているのであれば、ノーマルの人でもキーさんでもMさんでもまずは思い切って体験し続けることだと思います。
欲求を我慢し続けることで歳をとってから爆発するということの方が怖いことですからね。
そうならないように、今のうちに存分に欲求を満たしたり、お仕置きライフを楽しんだりしたほうがいいと思います。

ちょっと脱線したようなことがありましたが、これらが私のお仕置き観であり、根底にあることです。





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