お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

                   お仕置き観 1


先日2年半ぶりにお仕置きをしたのですが、実際問題、これだけ長いブランクを埋められるかという思いはありました。
しかしやってみると以前と何も変わらずに話ができたので少し意外でした。

この2年半の間、私もいろいろな経験をしたこともあり、焦燥に駆られている人たちの気持ちが少しわかった気がしました。
なので今までの私と比べ、より深い心の部分で相手と通じ合えているような気もします。
2年半のブランクでお仕置き観が鈍ったということはなく、むしろ細かいところの感覚が研ぎ澄まされたような気がします。

当初私はお仕置きをしたいからお説教をするという逆転的な発想でお仕置きをしていました。
それはどんどん薄れつつもずっと心に秘めていたのだと感じます。
しかし、今回のお仕置き、そして活動再開してからの様々な方とのメールのやり取りを通じてそれが変化していることに気が付きました。

それはお尻叩きという行為は私にとって、あってもなくてもどちらでもよくなっているということなんです。
あってもなくてもどちらでもいいというのは言い過ぎですけどね、それは私ではなく相手側が求めていないのならそれでも構わない、間口を広げるという意味合いです。
それではお仕置きがなくて何をしたいのかというと、それは”罪悪感に苛まれている人や悩み苦しんでいる人、を前向きにさせたい”ということです。

まずは対話です、対話によりある程度相手を把握出来たら次にお説教で、なんで悪いことなのか、どうしてやめなければならないのかということを心に語り掛け、意識を変えてもらうことをしなければなりません。
私の場合は、一方的に理由を述べて禁止するのではなく、根本から直すために相手を説得するようにお説教をします。
私の考えを聞かせ、それに対して相手の想いを聞き、根本の考え方を正していくという感じです。

対話とお説教があればそれだけで前向きな考えになり、”明日からちょっと頑張ってみようかな”という気持ちになります。
それが続くかどうかは別にして、大事なことはそういう意識になれたかどうかということなんです。
人によっては溜まった思いを一方的に話し、いろいろなことを吐き出して、それで自分自身の根本に気づき、私の言葉などなく前向きになる子もいます。

どんなタイプでも、私がうれしいのは最初に会った時の顔と別れるときの顔が全然違うことなんです。
緊張しているとかそういう問題ではなく、体から出るオーラのようなものが顔から出てくるんですね。
そういう子を見ると私もエネルギーをもらえるんです。

そして最後にお尻叩きです。
このお尻叩きは相手の希望によってはなくてもいいのですが、やっぱり仕上げとしてやった方がいいので罪悪をしっかりと償うためにはということで説得はしてみます。
感覚的に言えば”げんこつ” ”ビンタ” ”一喝” というような類と同じなのでお尻叩きに対しての抵抗を解いていきます。

中には「話をして根本を直したからそれでいいんだ」という人もいるかもしれません。
しかしほとんどの人が心の中では「何も罰はなくて許されていいのだろうか」と考えるようです。

悪さや罪悪感というものは反省したからなくなるというものでもありません、それは真面目で不器用な人ほど強く思うものです。
さて、それでは何をもって清算をするか。

自分では裁きはできませんよね、だからといって他人から何かしてもらうにもそんな施設はありません。
だからこそ、その場でお尻叩きをして心に残った罪悪感や罪を清算してあげるんです。
それが最後の仕上げで完結するのではないかと感じます。

しかし、本心で、お尻叩きが必要ないという人であればお仕置きの必要はありません。
そういうこともあって、私のサイトではお尻叩きのお仕置きのないカウンセリング部屋という項目を新設したんです。
この開設にあたっては、お尻叩きのお仕置きはあってもなくてもいいという、私の気持ちの表れでもあります。

実際はそのような人にも間口を広げただけで、お仕置きに依存している人やお仕置き欲の強い人でも、キーさんでも、Mさんでも、心の闇をどうにかしたい、ぶつけたいという気持ちがあれば私は嬉しいんです。

また、私の接し方のコンセプトは”家族”です。
そこらにあるカウンセリングルームやクリニックのようなドライな雰囲気ではなく、言いたいことやわがままを自由に言えるような雰囲気を作るように心がけています。
だから私は相手の名前を呼び捨てにし、相手には敬語は極力使わないようにとあらかじめ伝えておきます。
余計ギクシャクすることもあるので強制ではありませんが、少しずつでも家族とか友達感覚で話ができたらと思っています。
そして家族や友達とは唯一違うところが一つだけあります、それは”全て包み隠さず話ができる事”です。
もちろんそれには信頼関係が必要なのですが、嘘を前提にここにきても心からすっきりすることはないでしょう。

それを踏まえて私は相手に必ず言うようにしていることがあります。
それは言いたくないことがあれば、「言いたくない」「今は言えない」「後で言うから」と必ず言ってくださいということです。
なんだったら「別に」でも「忘れた」でも構わないんです。

人は一つの嘘をつくとそれに付随して7つの嘘をつかなければならないといわれています。
その7つの嘘に更に嘘は重なり、そうなってくると何のために私のところに来ているのかがわからなくなってしまいます。
最初についた嘘は、例え些細な嘘でも、くだらない嘘でも後で撤回しづらいものです。
だからこそ、”ちょっと言いたくないから嘘ついちゃおう”と思ったときは必ず逃げ道を作っておいてほしいんです。
そうしておくことで後になって言いたいときに言うことができるんです。
後になればなるほど嘘を告白できない辛さは強くなりますからね。

もし頑なに話すことを拒否するならば、私はそこを強く追及したりしません、そのことを今後一生私に言わなくてもそれはそれでいいんです。
なんでかというとそこに嘘は存在していないからです。
私が恐れていることは、私との間に嘘が混在し、それによってその人にとっての唯一の居場所をその人自身で汚してしまうことなんですね。
汚すというと大げさかもしれませんが、やはり私との間に嘘があると罪悪感が付いて回ったり、心の真実を告げることができず、せっかくの居場所なのに心が晴れなくなってしまうことにつながるんです。

だから嘘をつくんではなく言わなきゃいいだけなんですね。
もし今後私のところに来ようと思っている人がいるのならば、このことだけは頭に置いといてくださいね^^





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