お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

            ”お仕置き”が先か”対話”が先か


「お仕置きが先か、対話が先か」というタイトルですが、これは何かをモジったものですがわかりますか?

そうです、これは「ニワトリが先か、卵が先か」という結論がつかないことを示す慣用句をモジったものです^^;
これはどういう意味かというと、「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題で、この疑問は深く考えれば考えるほど決着がつかないもので、結論づかない事例の時によくつかわれる言葉です。

私がおこなっているお仕置きも同じようなことがいえるといつも感じています。
私の場合、人のお尻を叩くことに興味があるわけではないんですね、だからお尻を叩きたいという単体の欲求というのはありません。
しかし、その人が何か反省しなければならないことがあって、そういう理由があるのならば、その人の成長のために懲らしめのお仕置きをしたい欲求が出てくるわけです。

反省することや罪悪感を抱えている事が無ければ私はお尻を叩きたいと思うことはありません。
もちろん体験的に叩かれたい人や、治療的にお仕置き欲を無くしたいという人、更には理由がないけど叩かれたいという人もいますから、依頼されれば叩いていますけど、そこに私の叩きたい欲求というものはありません。
そういった場合は、その人の心理的な安定のためのお尻叩きと捉えてお仕置きをしているのでそれはそれでいいんですけどね^^;
まぁでもこういうケースはおいて話を進めます^^;

私は単にお尻を叩くということではなく、その人の人生において成長させるための対話がメインなんですね。
その中で悪いことや罪悪感を感じたこと、他人を不快にさせてしまったこと、約束を守れなかったことなどがあったらその人のために、その人を成長させる目的でお尻叩きの罰を与えたいんですね。
いい感じで書いていますけど、まぁ悪い子は痛みという罰で懲らしめたくなるということで、その目的は成長の為ということです^^;

お尻を叩きたくて活動をしているのかというとそれは違うので、お仕置きが先ではないし
対話だけをしたくてこの活動をしているのかというと、それも違うので、対話が先でもないし
お尻を叩きたくないのかというとそれも違うし
対話したくないのかというとそれも違います。

お仕置きがメインであっても、そこには対話というその子とのコミュニケーションでのつながりがあって、その子の人生を見つめた上で、ダメなこと、成長させなければならない事があってのお仕置きで、もし反省材料がなければお仕置きはなくていいんですね。

また、対話がメインでも、悪いことがもし出てきたらお仕置きをしたくなります。
悪いことがなければお仕置きをしたいとは思いませんし、そのまま対話で終わっていいんですね。
つまり、お仕置きが先でも対話が先でも無いわけなんですね、、、悪いことがあったらお仕置きしたくなるし、悪いことがなければお仕置きしたいと思わないって事です^^;

お仕置きのためにこじつけで対話をするのではなく、普通に会話していく中でその子のことを知り、日常生活においての人とのふれあいや接し方、マナーや礼儀、考え方などを聞いて、偏っている部分や間違った認識がある部分に関してはそこを修正するようにお話をして、人間的に成長があるように話していきたいんですね、そこは対話がメインです。

しかしその中には必ずといっていいほど、悪いことや反省しなければならない事があり、そういう事があったらその子の成長のために懲らしめが必要と感じ、その懲らしめがお尻叩きのお仕置きなんですね。
悪いことが発覚して初めて私はお仕置きしたいと思うんです。

悪いことをしたら単純に懲らしめたり、罰を与えるというのであればそれは機械的なお仕置きであって、単なる懲罰でしかありません。
しかしそこにその子の成長のためという気持ちが入り込んだなら、それは愛情表現でもあり、その子のためのお仕置きとなるわけで、その為のお説教でありアフターケアで、それが私の実行しているお仕置きなんですね。

だからこそ対話がメインであり、その中で表向きな自分ではなく、心の中身を素直に話してくれることを望んでいます。
その上で、ダメなところや反省すべきところがあったときに、私は罰をくだしたくなるわけです。
それは私自身の欲求が、相手の成長のための懲らしめであり、相手の子も反省して罰を受けなければならないという気持ちがあり、それが双方を結び付けているのでちょうどいいんです。

キーさんといえどタイプは様々で、お尻単体を叩かれたい人もいれば、反省する理由があってそれに対する罰として叩かれたい人もいます。
私はお仕置きという名の通り、正当な理由があって、それを正すことがその子のために必要だと判断した時に罰を下します。
そういうタイプの人間です。

これが私の日常の性格でもあるので、これだけお仕置き三昧でも飽きることなく続けてられるんだと思います。
一人の人間の人生を見つめ、成長の手助けをする、その為に必要であればお仕置きをする。
ただそれだけのことなのですが、正当な理由があってのお仕置きというのが私にとっては魅力なんですね^^
ちょっといい人って感じですけど、まぁこれが素直に思っていることですので、私のところに来てマイナス成長になるようなことがあればそれは私の本意ではないので嬉しくありません。

悪いことが無ければ対話のみでも構わないのですが、もし悪いことが発覚してもお仕置きができないとなるとモヤモヤだけが残るでしょう(笑)
それでもお仕置き無しと前もって宣言してくれれば悪いことがあってもお仕置きをすることはありませんし、その時は事前に了解した上なので、モヤモヤすることもありません。

そして前もってお仕置き有りと依頼してくれればお仕置きをしますが、そういうの抜きでお任せであれば、お仕置きすべきことがあった場合にお仕置きし、何もなければ対話だけ、そういう方式をとっています。
ま、対話で何も出てこなかった時は、念のため反省することがあるかは聞きますけどね^^;




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