お仕置き、お尻叩き、お説教、お尻ペン、お仕置き依頼
               
お仕置きの部屋 ~お尻叩きの世界

                   カーの魅力


キー(お仕置きされる側)の魅力ってありますよね、それは誰でも理解できると思います、構って欲しい願望、甘えたい願望って誰でもありますし、誰かに真剣に見ていてもらえるって幸せなことですからね。
そして真剣に成長のために叱ってもらえるって嬉しいことではないでしょうか、そしてその上でキュンキュンしてしまうお尻ペンペンですからね^^

でもカー(お仕置きする側)の魅力ってどこにあるのか不思議ではないでしょうか。
ディシプリン派のカーとは性的要素を含まない躾の為のお仕置きのことをいうんですけど、それを理解できない人が多いようです。

SM要素があるカーは
性的なことを少しは含まないと面白くないと考えていたり、
性的要素を含まないお仕置きなんてあるはずがないと思ったり、
結局キーもMの卵なんだからと考えていたり、
ディシプリン派のカーの存在自体を否定したり、そういうカーがいることは事実です。
まぁ性的なことを少しでも考えている人や叩きたいだけのカーであれば理解は難しいでしょうけどね。

キーやカー、スパ等、意味が分からない人はスパ用語を見てください。

また、キーさんの多くは
「性的なことはしないでください」
と前もって宣告して、その条件でパートナーを探すのですが、多くのカーはただ会いたいだけで、とりあえず性的なことを隠して会う人が多いみたいですね。
そして約束どおり性的なことをしないでお仕置きをするのですが、数ヶ月もすると性的な事が出来ないとつまらないので離れていってしまったり、性的なことをしようとして拒否されてしまい、それでは面白くないので理由をつけて関係を解消する人が多いようです。
その場合は決まって仕事が忙しいとか時間が作れないとかで自然消滅に持って行くのが定番ですね。

正当なディシプリン派のお尻ぺんのお仕置きは躾の為にする行為です。
純粋にディシプリン的なお尻叩きを望んでいるキーさんが多いのですが、一方性的であるSM的なお仕置を好むカーもいて、その両者がパートナーになってしまうことも当然あります。
カーの多くは最終的には性的なものを含むことに魅力を感じている人が多いので、キーさんはそれを見極めて、それを受け入れるのか受け入れないのかという信念のようなものをしっかり持っていないといけませんね。

話が飛んでしまいましたが、カーと名乗る人は多少なりとも性的なことがあるから叩くことに魅力を感じてるか、単にお尻フェチとか、お尻を叩くことだけに魅力を感じる人が多いのが現実みたいです。
まぁそれはそれでカーさんの考え方なのでいいのですが、それはキーさんとの関係で需要と供給が合えばの話です。

で、私がしたいお仕置きは、そこに性的なことを入れたくないんですね。
性的なものを求めるのであればそれはSM行為等で吐き出せばいいことで、家庭的なお仕置きの時はそれは一切必要ありません。
お仕置きの魅力は相手が大人であること、そしてその大人が叱られることを求めているというところにもあります。
もちろん叱られる内容には道徳的な正当性があることが条件となりますが、常識に反する行為、迷惑をかけるような行為はやってはいけないこと、それをしてしまったことに対して叱られ、反省をするわけです。

当然のことながらそれを求めているので正当性さえあれば喧嘩にならない、言い訳や無駄な抵抗をしても、最後には素直にごめんなさいをする。
ようするに聞く耳を持っているんですね、というよりも悪いことを認識しており、既に反省もしているわけです。
私はそういう心の全てを出してくれる行為に魅力を感じています。

近い友達や彼氏、家族にも言えないようなことでも打ち明けてくれる。
私を必要としてくれ、お説教とお仕置きによって心が安定し、前を向いてくれる。
私を必要としてくれるからこそ私は相手に好意を持ち、相手のために叱り、前向きに歩いて行ってもらいたいんです。

それが結果私が満たされることにつながります。
お尻叩きは結果論で、こういう精神的なやりとりに私は魅力を感じています。
といっても悪い事をしたら罰は必ず必要で結果論といってもそういう子を懲らしめる行為は大きな魅力です^^;
だから私の場合はカーさんが持っているスパの世界観とは違うというか、魅力を感じている根底が違うんですね。

日常よくあることですが、正当性があるにもかかわらずそれを主張しても通らないことってありますよね。
間違いであることを追求しても価値観の違いや相手に屈したくない一心で話がかみ合わないとか。
その結果感情的になって喧嘩をするなんてことは世の中たくさんあります。
それが親子でも恋人でも友達でも他人でもです。
それってもの凄く歯がゆいし理不尽でもあるし、正当性のあることが聞き入れられないって本当に腹が立つものです。

逆に最終的には素直に非を認め、話を聞き入れられると自分の正当性が受け入れられ気持ちがいいものです。
キーとカーの関係性、魅力の一つはそこにもあり、キーさんは悪いことを既に認識しているので当たり前のことですが理解してくれるんですね、きちんと聞く耳を持ちごめんなさいができる子なんです。
結局はお説教を受けに来ている前提ですから、聞く耳を持っていて話が通じるんですね。

更にお尻ペンのお仕置きを求めているというところも魅力です。
精神的には求めているけど、求めていない自分もいるというところがいいですね。
求めてばかりは困りものですが、そのバランスは難しいのです。
ただ、お仕置きは本当は嫌だという気持ちを持っていないとお仕置きの魅力も半減してしまうでしょう。

私は嫌がって、痛がって、必死になってごめんなさいを連呼する姿に可愛さと愛おしさを感じてしまうんですね(汗)
だからといって虐待的な痛みを与えるのではなく、その人それぞれにあった限界を探りつつ手加減をして痛みを与えます。
痛がって嫌がってごめんなさいをする仕草にとてつもない”温もり”を感じてしまいます。
まぁ本来”痛い”からといってごめんさいを言うのはいけないことなんですけどね^^;

まだ魅力はあります。
子供ではなく大人であること。
大人が子供のようにお尻を丸出しにされてお仕置きをされている、このギャップがとても好きです。
大人ですから子供と違って恥ずかしいという気持ちがかなり強いはずです。
子供に返っているといっても精神的に全て子供に戻ることはできません、そういった部分も人間の素の部分として感じることができるので好きです。

あとはお仕置きのあとのスキンシップもいいですね。
お仕置きで叱り、反抗し、嫌がり駄々をこね、最終的にはごめんなさいをし、お尻を叩かれ、普通だったら嫌われてしまうような行為をしてもお仕置きが終わると甘えてくる。
こちらも相手がきちんと反省できたときには全てを許し受け入れる。

その時に「いい子いい子」と頭を撫でてあげたり、相手が求めれば抱っこをしてあげたり、甘えさせる時間、愛情を感じさせる時間をたっぷりととってあげます。
それは私の癒しの時間にもなり、これは私も満たされることにつながるんですね。

こちら側のお説教に正当性さえあれば厳しくできる、そういう前提があるからこそきちんと叱ることができ、お尻ペンができるのだと思います。
好かれようとすれば加減して叱ったり痛くないようにお尻を叩いたりとするのでしょうが、その必要はなく、それも魅力のひとつです。

もしそれで嫌われてしまいキーさんが離れていったらそれはお仕置き観の違いだと認識できるし、価値観の違うキーさんを追いかけることはしません。
ただ、追いかけはしませんが、戻ってきたら受け入れますけどね。
戻ってくる”しおらしさ”がまた可愛くて、なんだかんだ戻ってくるって嬉しいものです。

でも本当に逃げたいのであれば、自分にあったカーを探すべきだし、私も自分を曲げてまでキーさんの機嫌をとるようなことはしたくありません。

キーさんとはお仕置きを通して、私に何でも話せるような間柄でいて欲しく、その上で仲良くしていたいです。
時には我侭をいってみてもいいし、本気で怒ってみてもいいし、それがキーさんの可愛いところだと認識しています。
そういうキーさんと関係を持つことが出来るのはたくさんの魅力があると私は思っています。




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