自分の居場所

自分の居場所ってありますか?

と聞かれて、考え込む人って居場所はあるものなんですよね。
でも即答で「ない」と答える人はどれだけ苦しんでいるのでしょう。

器用だったりズル賢かったりする人って居場所はいくつもあるものです、ここが駄目になっても他にいく、そうすることによって自己防御をし傷つくことや孤独になることを避けているんですよね。
これって無意識に作り上げていく人が多く、また傷ついたことの知恵として意識して作っていく人もいます。
でも問題なのは、不器用な生き方しか出来ない人間も結構いて、自分の居場所を求めて彷徨い、日々何かと戦いながらそして苦しみながら生きている人もたくさんいるということです。

器用な人にとって見れば居場所なんていくらでも作れるんだからとアドバイスしたがりますが、それはあなただから出来ることであって、不器用な人には真似できないことなんですよね。
しかもそれが普通のことだと洗脳をし、それができなくて落ち込んでいる人が駄目なんだと責め立てます。
日本人は特に足並みがそろっていないとそいつは普通ではないと偏見を持ち責めたがります。
日本人って島国ということもあり特にそういう人種なんですよね。
アメリカのように様々な人種を受け入れてきた国は様々な人間の様々な意識や行動をそれぞれの個性として尊重しています。
ま、国民性というものなのでこれは変えることは難しいのですが。
何が言いたいのかというと、そういう不器用な生き方しか出来ないような人もそれを一つの個性として普通として捉えられないのかな?ということです。

誹謗中傷したり、同情したり、変に気を使ったりということをしないで普通にです。
私は逆にそういう心の闇を抱えた人に見える切なさがとても愛おしく感じます、変な言い方ですが魅力みたいなものです。
本来そういう不器用な人達の姿が人間の本質なのかもしれません、そこから人間はずる賢く様々な自分を守る知恵を得て今の普通があるのかもしれません。
そうだとしたら不器用な人たちはとても純粋で綺麗だと思いませんか?宝石でいうと原石でしょうか。

不器用な人たちの多くは、自分は本当に存在しているのか?存在している証、生きている実感、そしてこのまま消えてなくなってしまうのではないかという不安から様々な形で悩んだりしてしまいます。
人それぞれ心に抱えている闇は違うので解決策もそれぞれで難しいし、結局は本人が器用にならないと無理なのかなとも思います。

人は誰でも認めてほしいと思い、他人がいるから生きているのだと思います、しかし他人がいて自分が否定されれば自分の存在意義がなくなります。
といっても世界には70億人いるわけで、広い視野で見るとその70億人全てが一人の人間を否定するなんてありえません。
しかし未成年の場合は特にですが、家族、近所、学校関係者の存在がもう全世界と同じなんですね。
社会に出ればそんな小さな世界と思いますが、その時は経験できないことなので考えることも出来ないわけです。
だからどれだけ苦しいかも想像くらいできます・・・。

そうしたときに自分の居場所が確保できればと思うんです。
居場所としては人の温もりが一番です。
恋愛に求める人も多いし恋愛以上に満たされる居場所はないのかもしれません。
しかし、居場所のすべてを恋愛に求めてしまうのは非常に危険です。
悲しいお話ですが、それはその人と一生幸せでいる確立は残念ながらかなり低いからです。

恋愛以外では親友を作ることが一番いいのですが、親友ってなかなかいるものではないですよね。
いるといえる人はうらやましいです、なんでも打ち明けられる友達はなかなかいません。
私の場合、友達はたくさんいても全てを打ち明けられる親友はいません、本心はほしいのですが、無理なような気がします。
そこは不器用な人たちと似ているような気がします、全てを話したいけど話せない、的な。

その他に居場所としては非日常を作るということもあります。
特別な関係であり、秘密を共有するような、ここのブログでいうとお仕置きの関係で人生を見つめてもらう的な。
心の中を少しずつ開いていき、信頼関係を築いていき、更に心の奥まで開いていくみたいな。
その方が心を開きやすいような気がしますね。

居場所としては人ではなく空間に求めるということもあります。
しかしそれは温もりというものがないので完全ではないんですけどね。
カラオケ、公園、屋上、お風呂、本屋、自分のブログ、趣味等、何かあるといいかもしれませんね。